起稿 平成二十四年七月二日 満を持して書き始めましょう。 いよいよ平成の忠臣蔵の始まり始まり。 すでに懐に暖めておいた血判状を以って行動に移す。 「理不尽なり、赤穂は燃えて御座る」、ってな台詞はないはずですが、悪だくみに乗っ取られた城は去るべし。 野太鼓の首を取らねば落ち着けまい。 御本懐必ず遂げられよ。 以前より探しておりました、稀代の詐欺士等(これも選挙による資格がいるんやねん)の流刑先が遂に決まったんやね。 その地は「ダマスカス」、名前からしてぴったしのふさわしい地名である。 和名「騙すカス」やねん。 法然上人は土佐へ、親鸞聖人は越後への流刑となられたが、おみゃ〜さんにはぴったしのダマスカス・Damascusやろう。 「野太鼓の流刑(るけい)先はダマスカス」
「野太鼓は義理とふんどしツケ忘れ」 義理とは投票して支持してくれた有権者への義理と、どうしようもない党に政権をもたらしてくれた人への恩義義理のはずです。 ふんどしつけ忘れてしまったんで、あっちこっちとぶらぶらしてしまう。 ツケとは今度選挙をやればどんなうまい事言っても、もう信用されない、すなわち落選確実と言う事です。 「書いてある事はやらんのや、書いてない事をやるんやで、破るのがルールやねん。」、往生したやろう。 わしの口に騙された奴が悪いやねん、ウソやったんや、チッチキチ〜。 「原発事故は収束した」、ウソやろ〜、チッチキチ。 未だ故郷に帰れず流浪の民となった人々の悲しみ苦しみ、野太鼓にはわかるまいな。 動けずに残って毎日被曝して続けている人の方がほとんどのはずです。 甲状腺が腫れている子供が増えているそうな、それを「お多福風邪」で済ましてしまっている。 しかもカルテCarteは公表したらあかんとの命令があるとか。 これ以上被害者を増やすな。
最近原発に関して、大変な記事を見つけてしまいました。 それは日本の原発はすべて違法だと言う事です。 イホウでアホウでしたんや。 みんなずうっと騙され続けて来たんやねん。 従いまして、「再稼動」なんて論外だと言う事でっせ。 天地がひっくり返りまっせ、チッチキチ。 「原子炉立地審査指針」がマニフェストならば、ここででも野太鼓は得意のマニフェスト詐欺をやってしまったんやねん。 それを知りながら隠蔽して推進して来たと言う事です。 下のリンクで御確認下さい。 消されているサイトも出ていますので、その場合は他のリンクをクリックして下さい。 別に二つ用意しました。 リンク1 「原子炉立地審査指針」引用先
リンク3 「(日本の)全ての原発は違法」と言う題がつけられています。 「原子炉立地審査指針」には地震津波の発生する場所への設置を禁止しているそうです。 そんな事だったら、この地震国で海沿いにある原発はすべて違法と言う事です。 詳しくはこちらをクリックして下さい。
つまりは地震、津波、洪水、台風がどこでも襲いかかる日本には原発なんぞ作ってはいけないし、況や再稼動なんてあってはいけない事なのですが、それをあの野太鼓は無責任を以って蛮行してしまいました。 何かあったら人柱として真っ先に原発に飛び込む覚悟ありかとも読みましたが、野太鼓の丸こげなんぞは見たくもないし、有難くもない。
7月9日 法律だ指針だと言っても所詮は「文言集」でしかない訳でして、解釈次第で白にも黒にもなってしまうわけですが、白にも黒にもならなく、手に負えてないどうしようもない事実の方がはっきりする、誤魔化しが出来ない。 つまりは「人間で言えば糞と尿(しと)の始末が出来ないで、溜まるだけで処理もできない、増える続けるだけで減ることはない恐ろしいもの、毒物に手を出してしまった事事態がもう間違いの始まりだった」と言う事です。 7月8日 電気が足りるや足りないや、エネルギーが足りるや足りないや、と全く関係なく原子力だけはやってはいけなかった 即刻廃絶すべきもの 小出裕章 仰せの通り、電気が足りようが足りまいが、こんな危険極まりない気狂い装置こそ、即刻廃止すべき! 原発の親は原爆なり、無差別テロの為に開発されて原爆なり。 あっちこっちのサイトをノゾキ、少し迷ってしまっていましたが、やはり原点に戻してくれました一言です。 法律も指針もへったくれもない。 法律を以っても増え続ける有毒な核のゴミ・糞ばかしは手に負えませんのや。 むしろそんな事のいいの悪いの、合法だ違法だ違反の論議に時間と情熱をつぎ込むよりも、・・・・・・・。 もう戻れないのですが、・・・・・・・。 とんでもない世の中となっていた事も気づくのも遅くて、どうしよもなくなってしまいました。 ただ今にしてでも気づきましたので、せめても救いだったのでしょう。 昨年3月の大地震、大津波、原発事故がもしなかったとしたら、未だに原発の本性を知る事もなく過ごしていたはずです。 その化けの皮に騙されていたはずです。 羊の面を被ったオオカミ、その化けの皮がはがれてしまったのですが、随分と多くの人が長年に渡り、オオカミであったとは恐ろしい事です。 隠れていたもの、隠されていたものが悉く(ことごとく)表に現れる、まるので山が噴火して溶岩が流れ出すように。 こう言う時節に生きて遭遇したからには、怯(ひる)む事なく目(まなこ)を逸らすことなく、しっかりと観て行きましょう。 見ないで通り過ごしたい事にも耳目を覆いたくなる事にも多々触れてしまう事をあるのですが、しっかりとしていたい。 ーーーー 続く −−−− 「日本の真相」と題されたサイトを見つけました、以前にこの人が書かれたサイトを興味深く読んだ事がありましたが、今回は動画で御覧頂けます。 何度も書いていますが、ここはリンク集でして、御判断は御自分でどうぞ。 すべてを鵜呑みにする必要はない訳でして、やはり自分の頭で判断する、間違う事もあるでしょう、当たり前です、その間違いに気がつく時期も来るかも知れない。 「過てば則ち改むるに憚ることなかれ」です。 また師曰く「過ちて改めざる、是を過ちという」。 日本の真相1 、日本の真相2 、日本の真相3、日本の真相4、日本の真相5、日本の真相6 、日本の真相7、 日本の真相8、日本の真相9
こんなチラシが電気代請求書または領収書に入っていました。 40年以上も原発の危険性を隠蔽して来たり、「原子炉立地指針」に違反しているのを隠蔽し続けたところからの「大切なお知らせ」なんぞは信用出来ないはずです。 まさに「巧言令色鮮(スクナ)し仁」をそのまんま実行しようとしている。 それでも電気代は値上げされて、すでに世界一高い電気代が更に記録を更新する。 オリンピックじゃないんだから、記録の更新なんぞは真っ平御免よ。 それ以前に危険な使用済み核燃料の処理は数万年から百万年もかかるとは、その間の天変地異なんぞは全く想像を絶する。 科学や科学者の推測の範疇とはほど遠く、そんな事を当初より知りながら原発を推進して、とうとう54基も造ってしまったとは、もう呆れて言葉がありません。 例えば水道を引く、下水が発生する、その下水処理が出来ないままに、水道をどんどん引き続けるようなものです。 しかもその下水は大量の毒物を含むとしたら・・・。 原発開始当初からわかっていて隠し続けたのだから恐ろしい。 「騙し続けて40年、騙され続けて40年」か。 例の「水俣病」なんて何十年経っても、まだまだ尾を引いている。 原発事故よる放射能の被害はなんぞはこれからですが、得意の引き伸ばしで何十年も引き伸ばすはずです、みんなくたばるのを待つか。 そうすれば賠償云々も消し去る事が出来る。 7月30日 本日「原発は危険極まりない、その危険をひたすら隠蔽して続けているだけ」と言う決定版の動画を見つけてしまいました。 配管工事の現場にいた事もなく、配管さえもした事がない学者や保安官とは違い原発技術者として現場に二十年以上も携わった人の話すところですので、間違いはないはずです。 配管から被曝から隠蔽から原発に関する何もかも知り尽くした貴重な人でしたが、最期は自らも白血病となって58歳で亡くなったそうです。 この話を聞けば再稼動なんぞはもっての外、論外である事がはっきりと認識されるはずです。 同じく平井憲夫さんの原稿は下をクリック、内容は一部重複するはずですが、上のリンクは動画、下は文字のみとなります。 共に貴重です。 何が「決める政治」だ、あほ、馬鹿言ってるんじゃないよ、そなたの流刑地はすでに「ダマスカス」と決めたり、ぴったしやろ。
八月六日 広島に原発が投下された日です、非戦闘員・無辜の庶民を大量に殺戮すると言う前代未聞の無差別テロの行われた日です、六十七年前の事でした。 続いて来る九日には長崎に投下。 そして昨年の三月十一日には自国民を自国が被曝させると言う事が起こってしまいました。 どうしも天災のせいにしたい気持ちは山々でしょう、あれを人災と認めてしまったらば、自国が自国民を被曝させたと言う事になってします。 「国民のみなさま」なんて言って叫んで原発を推進して来た連中の仕業がバレてしまう。 ところがあれ「人災」なのです、たとえ格納容器はいたく頑丈に造られていたとしても、配管は普通のものですので、地震で継ぎ手が破れてしまうのはわかっていたのです。 配管が格納容器並みの頑丈だとしたら、保守は不可能となる。 国家暴力に関連したサイトを見つけました。 「もっとも二十世紀に戦争・政治暴力による犠牲者は何と1億6000万人」という推計もあるくらいです。 下のリンクをクリックされると二十世紀の100年間に1億6000万人が犠牲になったと事です。」 20世紀の戦争・政治暴力 戦争は儲かりまっせ、銭になりまっせと言う連中がいる、次は原発は儲かりまっせ、銭になりまっせと言う連中が引継ぎ後を絶たないから、とうとう収拾のつかない大変な事となってしまいました。 犠牲や犠牲者なんぞはもとより眼中にない。 以前にリンクをしてましたたサイトに同様の内容があったのを思い出して、再度リンクして御紹介しましょう。 「民主主義とは美名であるが、これは同時に『多数決による暴力装置』である。」 一部を引用して御紹介しますが、上のサイトと同様の内容があります。 戦争はすべて金儲けの事業である 戦争製造者たちは、戦争をひとつの事業と考える。 勝利した時に得られる国際上の利権について胸算用をする。 このとき彼らの脳裏には、戦争で流されるおびただしい血の量や生命の貴重さについての感傷はない。 戦争遂行者は常に安全なところにいて、栄養満点の食事をとり、美酒に酔い、兵士10万人の死も単なる数字でしかない。 前途有為なる青年の死や、その死をいたむ家族や恋人の姿を思い浮かべることはないのである。 単なる数字とは銀行の入出金みたいなもののはずです、紙幣と言う物もさえも動かずに数字だけが移動する。 八月六日、広島に原爆投下に日ですが、それ以前の三月に東京大空襲がありまして、ここでも勿論無差別テロが実行されたのですが、その時に今は亡きお袋が火の粉の中を祖母、祖父の位牌と幼い姉を連れて逃げ惑った、お腹には兄がいたはずです。 大体二十三歳くらいのだったはずです。 ーーーー続くーーーー (石上私淑言、巻一)
八月十五日終戦記念日 ラジオで「玉音放送」を聞くとは真っ赤な嘘でして、自分にはそう言う経験はあり得ないのですが、亡き父母から、特に母からよく聞かされた話です。 正しくはラジオで「終戦記念日の戦没者追悼式」の様子を聞く、常套句の「尊い犠牲の上に今日の繁栄と平和がある」云々を耳にしました。 果たして本当にそんな風に思っているのか、疑ってしまいました。 「赤紙一枚で集めた命を奴隷にように粗末に使い捨てた」が正しいのじゃないかと思いました。 と申しますのは、昨年の原発事故の対処及び処理を真近で知ったからのはずです。 それに語り尽くすことあたわざると言うくらいの惨状が自ずと耳に入って来るからなのでしょう。 東京大空襲は言うに及ばず、何度も書いたつもりですが、火の粉と重なる焼死体の中を逃げて、振り返れば一家が亡くなって一人ぼっちになってしまった幼子もあったはずです。 もっともっとひどい口に出来ないような話だったあったはずです。 あっちこっちのサイトを覗いていましたら、「バンザイクリフ」と言う名称があったのですが、いつか耳にした言葉ですので、早速調べてしました。 現在は観光地となっているサイパン島にあるそうでして、追い詰められた日本人一万人余りが次々と崖から飛び降り自殺をしたそうです、その際に「天皇陛下バンザイ」と口にして飛び込んだそうでした、それで「万歳クリフ・Cliff」と呼ばれている。 崖に下の海には人食いザメがいまして、海一面が真っ赤に染まったそうです。 この話を読んでお盆中にふと「もしお袋がその場に居合わせたら、同じく幼子を連れて崖から海に飛び込んでいたはず」と想像して仏壇に語りかけてしまいました。 敗戦真近で追い詰められて、ずばり言えば見捨てられ「棄民」とされて、思い余って飛び込んだのでしょう。 これが尊い犠牲と言うやつか。 満州からの引揚者、シベリア抑留者、沖縄戦、その他いくら語っても語り尽くせまい。 今から67年前の話です。 犠牲者なみな「受忍」と言う意味不明な言葉で門前払い、安上がりやねん。 翻って昨年の原発事故を見てみましょう。 ※ まずは原発は安全安心と吹聴し続けました。 学校は勿論、所謂マスメディアが重要な役割を担った。 戦前は「兵隊へ行く」ように仕向けたのが、やはり学校とマスメディアの役割だったはずです。 極めて危険で特に地震国には造ってはいけないのは当事者は当時から知っていたはずです、だから推進するために隠蔽する、隠蔽の為に学校とマスメディアと使いこなす。 ※ 「戦争は一つの国家事業」であったはずですので、赤紙一枚で安上がりな兵隊をいくらでも集められた。 さて今回は交付金と言う餌で吊り上げ、危険極まりない原発を日本中に設置。 やはり「原発(戦争同様の)はひとつの事業」でした。 ※ 福島のゴルフ場が放射能で汚染された芝生を交換しろ(約200億円位は掛かるとか)と訴えたそうですが、「無主物」と門前払い。 放射能は無主物とは「誰のものわかりまへんな、わて知らんわ、チッチキチ」と言う事です。 今度は「受忍」の替わりに「無主物」となりました。 そんなアホな、ウソやろ、ってな関西弁がぴったしです。 ※ さて原発が爆発して放射能を外部に撒き散らしてからと言うもの「安全値を大幅に変更して」、「危険を安全」としてしまった訳です。 もともと放射能に「安全しきい値」なんぞはないのですが、その最低の「しきい値」さえも大幅に緩和してしまい、食料の物流さえも許してしまった。 隠蔽されているのですが、相当の被害が出ているはずです。 但し「晩発性(あとで晩く発病する)」ですので、すぐにはバレない。 ですので「ただちに影響はない」、当たり前の事です。 但し、幼児子供は早期にに発生する恐れがある事はチェルノブイリ事故で明白となっていたはずです。
二つの話を合せますと、似ていませんか。 そっくりでしょう。 「深い反省」なんて口癖の常套句を使っても実はちっとも反省なんぞはしていないし、する気もないのでしょう。 赤紙同様に原発事故被害者も「安上がりな犠牲者」くらいにしか思っていない、それこそ「ただの数字」でしかない。 それが選挙となると「国民のみなさまに御奉仕する」くらいの巧言は平気で述べる。 わかりますね、「巧言令色、鮮(すくな)し仁」です。 この「スクナシ」に新鮮の「鮮」を当てるのは「新鮮なものはスクナイ」と言う事のはずです。 さて戦争、原発と陰で糸を引くその黒幕は・・・・。 御自分で色々とキーワードを使って調べて下さい。 かなりの所までたどり着けるはずですが、もっと深い恐ろしい闇に触れてしまうかもしれない。 このリンク集からもたどり着けるはずですが、検索と御判断は御自身でどうぞ。 ここをクリックされると参考になるかもしれない。 庶民は古来より、悔しいかな所詮は「使い捨て」の都合のいい道具でしかない。 「蟻の兵隊」でしかない。 この事をしっかりと腹に納めておきましょう、そうすれば現在の世の中の見方も変わるはずです。 何で原発事故を起こした加害者が保護され、被害者が見捨てられるか。 その上に当然のように電気代が値上げされるのか。 要らぬ負担を強いられるのか。 −−−− 続く −−−− 八月二十日 銀座中央通りで「ロンドンオリンピック選手」のパレードがある。 十時前に会社に向おうとしていたのですが、どんどんと人が集まって来ていまして通行しずらい。 それがどんどんどんどんと人が集まり、中央通りからニ区画離れても人で溢れかえる様子となってしまいました。 スポーツの起源は紀元前のアテネで、「奴隷同士」を殺し合いさせる事から始まったはずですので、決して褒めるべきものでなく、目を覆いたくなるような残忍残酷極まりないところから始まっていた。 今でも結構危険な事とか軽業を競わせている。 原発事故、増税、雄プレなんぞを忘れさせて夢中にし熱狂さえるにはスポーツは持って来いのはずです。 何かあったらすぐに棄民にされてしまうのは、福島でわかっているはずですが。 そんな事も忘れさせ夢中にさせるにもスポーツは持って来い。 さて先日の「終戦記念日」より、書き方が変わったのですが、戦争、原発事故等々の犠牲者被害者の扱いについて成るほどと納得されるサイトを見つけましたのでリンクします。 自分の感じている通りの同じ構造、つまり「庶民は所詮は使い捨て」と言う事です。
ーーー 続く −−−
十月一日 前回筆を取ったのが(パソコンで入力したのが)八月二十日となっていますので、ほぼ四十日くらいは何もしないで過ごしてしまいました。 いろいろと書きたい事はあったのですが、やはり自分の内で煮えきらないのを感じていましたので、筆を取る気が起きなかったのでしょう。 気が起きないので体も動かない、ここに霊肉一致を感じ取ります。 気持ちも体も一体、一つと言う事です。 気持ちが萎えれば体も萎える。 今、「古事記」を読んでいます、どう言風の吹き回しでか読み始めましたのが昨年の秋頃と思いますので、約一年程かけて気ままに三度程くらいになると思いますが、読んでいます。 当初は古い言葉と言葉使いにかなり閉口していたのですが、それが読み続ける事により慣れだしまして、興味津々で、いよいよ面白くなって来ています。 偶然ですが、古事記が編纂(へんさん)より今年で千三百年との事になるそうでして、記念行事もあるみたいですが、当時は原発も勿論なかった。 昨日大型台風が過ぎたのですが、驚くほどの強風がありまして、たまたま日曜日の夜でしたので、うちにいて安心していました。 仕事のある日だったら色々な苦労があったはずですが、日曜の夜でして、さほど気にもならなく、横になって過ごしました。 それにしても台風は怖い、その抗い難き強大な力の前にはなす術もなく、ただただ畏れるばかしでして、古代の人となんら変わらない畏れを感じているはずです。 今日では天気予報が進んで衛星なんぞも使っているのですが、注意したり気休めにはなったとしても、台風の前になす術なしで解決なんぞはあり得ない。 ただただちんまりとして無事に過ぎ去るのを待つしか出来ない。 今日は科学化学の時代となっているのですが、原発の猛毒なゴミ処理も出来ないままに、原発を推進した科学者化学者こそ愚の骨頂と言うしかない。 やれ先進だハイテク技術だと見栄を張っても、所詮はただの大法螺野郎でしかないのが、はっきりと見え出して来ましたのが、昨年の原発事故爆発でした。 さて原発事故、大地震大津波に触発されて書き出したこのファイルですが、原発の生み出す核のゴミ処理は地中に埋めて十万年〜百万年もかかるとの事ですが、冒頭に述べました「古事記」編纂からたったの千三百年しか経っていないと言う事ですので、十万年なんぞとは到底想像を絶する気絶するような時間と言う事になります。 その間に人類が存在するか否かも定かでないし、どんな天変地異があるかは、これまた想像さえも出来ない。 と言う事は科学者なんぞはただの無責任野郎ってな連中の集まりなのでしょう。 新しい技術が生まれた発見した、ただその事で夢中になり頭がいっぱいになり、それが果たして人の為になるのか否か、どんな恐ろしい作用をするか否かが眼中にない。 発明発見の驚きと悦びでいっぱいで、そんな先の事は忘れさせててしまうのでしょう。 それでもやはり台風が起きますと、ただただおとなしくしてなす術なく無事に通り過ぎるのを願い待つ、古事記に記されたような古代人(いにしえのひと)となんら変わることはないのを知らされるはずです。 どうも筆が進まない、一息入れましょう。 そろそろ終わりの酔芙蓉でも共に愛でましょう。 八月の末より咲き初めて十月に入っても咲くのですが、陽気が冷え込みまして、本来は日中の姿を朝にも見られるようになりました。 酔芙蓉は朝は白、段々を色付きまして、真っ赤になり萎む一日花です。 下の画像は朝撮影しました、それだけ陽気が涼しくなったわけです。 また画像をクリックされると「酔芙蓉」の写真集に飛びます。 今思い出しましたので付け加えましょう。 「古事記」の時代には貨幣・お金がなかった。 今日人々を苦しめている金銭がなかったのを思い出しました。 原発もなく金銭もなかったのですが、共に今日人々を苦しめる。 物の貸借はあったはずと想像します。 物々交換とか貸借はあったはずです。 悪智恵は今と変わらずありました。 さて気になる税金は・・、ありました。 「人民(たみ)の課(みつぎ)、役(えだち)」と言う言葉の出てきますが、これは仁徳天皇(平安時代に音読みで名付けられた)、当時は大雀命(おはさざきのみこと・デブの雀か)についての話、古事記下つ巻(しもつのまき)の初っ端に出てきます。 但し、金銭がないので、替わりに貢ぎ物と労役でした。 勿論税を徴収する役人もいた筈です。 民が貧しく苦しむのを知り、三年ほど貢税を止めたとかでの仁徳と名付けられたはずですが、野田君も見習い給え、さすれば「仁徳総理」と呼ばれかも。 無理か、野太鼓は所詮は太鼓持ちか。 提灯持ちか、御用聞きか。(^^♪ 当時から今で言う特権階級がありまして、働かずに優雅に生活を送っていました様子が伺えます。 歌を詠んだり宴会をしたり遠出をしたり●●多く漁ったり、やはり庶民(当時は奴(やっこ))とは違っていました。 古事記編纂から千三百年(現在2012年)との事ですので、勿論それよりずっ〜と以前のお話です。 −−−−続くーーーー 十月十五日 十月十三日土曜日の午後ですが、こちらは仕事でしたが、外が騒がしい、これはデモに決まっていると思い、なんのデモかを確かめに外堀通り(銀座中央通りより有楽町よりの大通り)まで出かける。 「原発反対」のデモでした。 思わず涙がぽろり、あの方に見せて上げたい気持ちが込み上げて来ました。 往時に「原発反対の講演会」をしても集まる人もまばらだったはずです。 まさに孤軍奮闘としか言えないような状況だったはずです。 それがどんどんどんどんデモの人が続く。 たとえ今すぐに廃止したとしても、これからの数十年から数十万年以上続く重荷を背負ってしまった訳ですので、これまでにとんでもない事を仕出かしてくれたぜ、この四十年間に仕出かしたツケは背負うに重過ぎる。 それでも背負わなければならない。 原爆原発と続く六十数年間で科学の粋(すい)を集めて世の中をメチャクチャにしてしまったんだな。 科学技術は人を不幸にする、そんな事を思ってしまいます。 原発を受け入れた地区は出稼ぎが当たり前の貧しい過疎地区だったはずです、つまりは金銭に困っていた地区に、飴玉をぶら下げて受け入れさせたと言う事でして、やはり人を迷わせ苦しませるのが金銭と言っても過言ではありますまい。 昔もそうであり、現在にまで続く。 人殺しが起きたり、盗んだり、自殺したり、騙したり、身売りしたり、倒産したりも、元はと言えばほとんどが金銭が原因と言えるはずです。 その金銭のカラクリ、支配のカラクリについて参考になるサイトを以前に見つけておきましたので、ここにリンクします。 明治以後と戦後の支配のカラクリ、洗脳政策にも触れられるはずです。 ここをクリック!
さてはいつしか金木犀の香りが漂う季節となってしまいました。 このファイルの起稿が七月の頭でしたので、早くも三ヶ月が過ぎてしまいました。 最近切々たるサイトを見つけましたので、リンクします。 消されるといけないので三箇所ほどリンクしておきましょう。 その一部を下に引用致しました。 福島市の仮設・80代の女性「除染なんて、私達が若いころ(戦時中)、強制的に竹やりを持たされて鬼畜米兵と言わされていたのと本質的には同じ。 小手先だけの対応で、何の意味もないことは皆、分かっている。 でもそれを声に出すと、非難される。 同調圧力だよ」 「除染なくして復興なし」なんて言葉のお遊びの得意なのがいましたが、海の除染はどうすんだ、河と河辺の除染は、森林はいかに、道路や校庭や庭の周りばかし除染しても、どうしようもない。 まさに「小手先だけの対応」にしか過ぎない。 更にその取り除いた泥は何処へ持っで行くんだ。 事に真剣には立ち向わない言葉の遊びにしか過ぎない。 福島・中通り60代男性「ラジオを聞いてひっくり返ったよ。 放射能に負けない子供になろう!って福島県教育委員会がラジオで呼びかけているんだもの。 中通りの住民は、被害者という意識が薄い。 だから教育委員会は、県外に避難した人を非難するんだ。 もうマスクをしている人も、ほとんどいないよ」 学校については色々と書いて来ましたが、目的を持ったおっそろしいところである事がいよいよ明瞭となったはずです。 今は亡きお袋は生きていれば九十歳になったはずですので、引用されている方はそれよりも数歳から十歳くらいは若いはずです。 昭和初期前後のお生まれでしょうか。 お袋も痩せた体に竹槍を持たされたり、消火のバケツリレーをさせられたりしたはずです。 「戦争反対」なんぞを口にしたら、いきなりしょっ引かれた時代だったはずですし、更に拷問を受けたかもしれない。 今でも原発反対デモなんかに参加すると、云われなき迫害妨害を受ける事もあり得るわけでして、戦前とちっとも変わっていないじゃないか。 ある人の「人物破壊」(character assassination)と云う言葉で表現している事も起こっている事は皆の衆の身近に知るところでありましょう。 今後も原発再稼動推進云々を叫ぶ人達が出てくるはずですが、うんじゃ聞くが「使用済み核廃棄物」と言う猛毒処理はどうするんだか答えてからにして欲しいものです、納得できるような答えなぞは決して出せないはずです。 それでも推進しようとしするならば、ただの無責任で気が狂っていると言うしかない。 この質問に答えずにはぐらかしてこれまでに推進して来たのだから、どうしようもない。 御存知の通りの手に負えない状況となってしまいました。 −−−−−続くーーーーー
十月二十九日 今月はこうして書くのが三度目となりましたので、ようよう気力が戻って来た様な感じがしています。 話は変わりますが、先日ある事から「コンキスタドール・Conquistador」と言う言葉を調べていましたら、次のようにウィキペディアにありました。 ※ コンキスタドール (コンキスタドール (Conquistador) とはスペイン語で「征服者」を意味するが、とくに15世紀から17世紀にかけてのスペインのアメリカ大陸征服者、探検家を指す。 とはスペイン語で「征服者」を意味するが、とくに15世紀から17世紀にかけてのスペインのアメリカ大陸征服者、探検家を指す。 南米で話される言葉は現在ではスペイン語かポルトガル語のはずです、もともと現地語があったはずですが、15世紀から17世紀にかけてのスペインの支配で現地語は使えなくなってしまったのでしょう。 ※ 少数の部隊でアステカやインカの大軍に勝利できた背景のひとつには、火器や剣、甲冑、騎馬兵(アメリカ大陸には馬がいなかった)など、ヨーロッパの科学技術の圧倒的な優位があった。 鉄砲や武器を持っていたので、いとも簡単に征服してしまったのでしょう。 言葉を帰れば「殺戮(さつりく)」で征服して、スペインに莫大な資産をもたらした。 ヨーロッパの現在の繁栄の基礎は略奪にあると言ってもおかしくないはずです。 要は盗人(ぬすっと)が繁盛の始まりでした。 わが国に鉄砲が伝来したのは、同じくウィキペディアより引用; ※ 鉄砲伝来(てっぽうでんらい)とは、16世紀にヨーロッパから東アジアへ火縄銃型の鉄砲が伝わったこと、狭義には日本の種子島に伝来した事件を指す。鉄砲現物のほか、その製造技術や射撃法なども伝わった。 「鉄砲」とは日本においてはじめは火縄銃をさす言葉として使われ、後に小銃から大砲まで火器一般を意味する名称となった。 さて、なんでこんな事に触れたかと言いますと、最近「科学技術」は人を不幸にして来たのではないかととみに感じているからです。 科学技術の最高傑作は何と言っても瞬時に人も建物も破壊する「原爆」に尽きる、そしてその子供の「原発」です。 現在の状況は大変な事になってしまって、ただただそれを収拾する事も出来ずに、隠蔽するしか出来ないのが現状のはずです。 もっと身近な話では「交通事故」なんぞはおぞましい限りです、多くの人を犠牲にしている、こんな犠牲がないと成り立たない自動車産業の繁栄なんぞは果たして喜べるものか。 鉄砲を野放しにしているのと同様だと思っています。 先日話題となって「iPS」も果たして手放しで喜べるものかどうか、はなはだ疑問だと感じています。 その弊害は副作用は、原爆や原発のようにならないか。 発明者開発者は諸手を挙げて喜んで酔ってしまうはずです。 それはこちらにもよくわかる事でして、パソコンの操作や工夫でさえも、従来出来なかった事が可能になると嬉しいものでして、時に万歳をする事すらある。 前回書きましたが、今「古事記・フルコトフミ」を気ままに読んでいますが、読めば読むほどいよいよ面白くなってしまっています。 まさに現在の「科学技術」とは無縁の世界です。 当時の人々が不幸だったかと言うと、まだまだ感じ取ってはいませんが、そんな事はない日常生活を送っていたのではないかと言う気がしています。 果たしてどうだったのか。 結構残酷な話や場面も多くあります、当時でも簡単に無残に人殺しをしていました。 腹が立って人を殺すなんて事が当たり前のように語られています。 義理を立てて「力窮まり矢尽きぬれば」と言って自害する話もあります。 それが万古不易の人間(人と人の間柄)の姿と言うものなのでしょう。 但し、今日のような大量殺戮の話はない。 本格的に西洋の「科学技術」が入って来たのは、明治時代に入ってからの事のはずですが、それから今日に至る。 輸入されてからは外国との戦争戦争となってしまいました。 今日の生活についてはみんなの知るところです。 身近なところでの通信は、電報→テレックス→ファックス→電子メール・インターネットとなりましたが、幸いかどうか知りませんが、自分はそのすべてを体験して来ました。 40年の間に通信は大幅に変容致しました。 キーボードとの付き合いは長く、最初に手動タイプライターの手習いから始め、電動タイプライター、テレックス、日本語ワープロ、そしてパソコンに至る。 パソコンとの付き合いも、もうかれこれ十二年くらいとなってしまいました。 変わらないのはキーボードだけか、否、自分もちっとも変わっていない。 今思い出して付け加えますが、古事記の時代には原発も科学もなかったと書きましたが、法律なんぞもなくても人々はちゃんと暮らしてたとはずです、これは大変重要な事のはずです。 そんなものなくてもちゃんと暮らせるんだな。 現在は法律ばかしを無限に作って、守らない。 ただただ世の中を複雑怪奇にしているだけではないかと疑っています。 利権のために法律を作っている感じがしています。 複雑怪奇だから利権集団には都合がいい。 −−−−続くーーーーー 十一月月 五日 またまた重要なサイトをを見つけてしまいました。 少し引用しておきますと、津波がくれば「逃げろ!」って叫ぶでしょ? 何故「放射能から逃げろ!」って叫ばないんですか!? ここをクリック! その危険性の認識が薄いからより危険なのが原発・放射能なんです。 火事なら逃げる、見えるから、危険を感じ取れるから。 放射の恐ろしさは「見えない、匂わない」、だから危険を感じにくいのが特徴でして恐ろしい。 その恐ろしささえも感じにくい。 ですので「収束宣言」みたいな勝手な事も出来てしまう。 そんな事をしたバカが誰かはお解りのはずですが、恐ろしい事をしている事にバカだから気づかないのでしょうか。 もう一つの重大な事を引用しましょう。 ※ 疫学はウィキペディアより引用 疫学(疫学(えきがく、Epidemiology)は、個人ではなく、集団を対象とした、疾病の秩序ある研究である。 疫学は、病気と怪我の頻度、そしてその分布に影響する因子を対象とする)というのはですね、医学的に医師会の統計的な証明なんです。 それはですね、手遅れという事を意味します。 水俣病をですね、科学救済に走り回ってきた私が尊敬してきた原田正純先生が6月に亡くなりましたけれど、原田先生が最後に言っていたことは「データ(統計的証明)が出てきた時には手遅れだ」という言葉なんです。 福島県の会津若松での無理心中の話がありました。 「もう疲れちゃった」悩んだ夫婦 会津若松の無理心中事件 原発事故で仕事を失ってしまった人が更に甲状腺に異常が発生して倦怠感に襲われ、無理心中をしたそうです、身体障害者の息子さんと殺しての無理心中とかです。 悲劇は始まったばかしなのでしょう、これからまだまだ恐ろしい事態となって行きそうです、それでも再稼動なんてほざいてる連中がいるとは。 これまで頑張って来られたのに、追い討ちを掛けたのが原発事故だったはずです。 もうこれ以上は頑張れない踏ん張れない、それで自害されたのでしょう。 この事につきまして、激しい書き込みもあります。 「犯罪政権と犯罪東電、犯罪マスゴミ、山下犯罪医療団が殺した。」。 山下犯罪医療団とは・・・・・・、あのミスター100ミリシーベルト、山ちゃんですよ。 この日、十一月五日の二つのリンクをたどり合せ読むと、その何故「犯罪医療団」の出来た経緯もわかるはずだと思います。 −−−−−続くーーーーー
http://www.asyura2.com/12/senkyo138/msg/429.html
スターリン「票を投じる者が決定するのではない。票を数える者が決定するのだ」
http://blogs.yahoo.co.jp/onoderakouichi
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