起稿 平成二十三年五月二十六日 前のページに書きましたが、三月十一日の大震災、大津波に続く原発事故を境に心境が引き締まって、明日はわが身と言う気持ちが強まりまして、ここにまた色々言いたい事調べたい事を書き綴り、関心あるサイトへリンクをします。 このリンク集も随分とその様子が変わったものだと感じています。 様変わりしました。 |
本なぞはもう読む事もあるまいと思って、離れて久しいのですが、最近ある時急に本を読みたくなって八重洲の大型書店で「つれづれ草」のワイド版と言う字の大きいのを買いました。 何年ぶりか、何十年ぶりかもしれません。 パソコンの本は勿論たまには購入はしましたが、あれは読んでもすぐに眠くなる。 本と言うよりは雑誌でしょう。 手続きが書いてあるだけで、感慨なし。 最近は図書券なんぞをもらっても他人(ひと)にあげてしまうくらいでした。 「されば、棺(ひつぎ)をひさく者、作りてうち置くほどなし。 若きによらず、強(こは)きによらず、思ひ懸けぬは死期(しご)なり。 今日まで遁れ来(き)にけるは、ありがたき不思議なり。 暫しも世をのどかには思ひなんや。」 第百三十七段 注 : ひさく(売る) 今日の日まで、自分は事故にも巻き込まれず、大病とは無縁で、衣食住不自由なく過ごせてまいりましたが、まさに「有難き不思議」と言うべきもののはずです。 仕事金銭等々で大変な困難には勿論何度も遭遇しまして不遇の時代も結構あったのですが、こうして今日の日元気で暮らせています。 「有難き」とはめったにない、ある事が難きと言う事です。 普段は当たり前のようにして、どうしてももっと金が欲しいとかの愚痴や不足を感じてしまいますが、まず無事で過ごせることこそが有難い事と感じられるようになりました。
あの地震津波原発事故を見ましてから、とみに感じられるようになりまして、そこが重大な転機となったようです。 あっと言う間に人も物も仕事もすべて飲み込んでしまう、その後の避難所暮らしの様子はただただ涙が零れ落ちる。 また原発事故とあの難民の姿にも胸が詰まる。 あの原発事故で難民となった人々の姿を見ていまして、すぐに今はなき両親が「東京大空襲」を右往左往した姿を思い浮かべしまいました。 当時は被害者に賠償なんてものはなく、「受忍」と言う意味不明の言葉で誤魔化されてしまいましたが、今度の原発事故はそんな事では済まされまい、軽くあしらわれてしまうかもしれませんが、そうでない事を念願します。 どうも数値で誤魔化して逃げてしまうような雰囲気もなきにしもあらず。 恐ろしい事を仕出かして後は野となれ山となれとはならない事を念願します。 さてここは「リンク集」でしたの気になる原発事故につきまして、信頼出来そうな専門家の言葉に耳を傾けてみましょう。 ☆ 小出裕章(京大助教)と言う先生がおられまして、一貫して原発を研究された先生で声、表情、姿から信頼に値いすると思います。 聞き終えて思わず拍手をしてしまいました。 動画で見られますのでここをクリックされたし。 貫く信念がその姿にそのまま表れている。 消されたり消えたりするかも知れませんのでこちらにも用意しました。 また原発について、福島の現状のついて詳しく知りたい人は下のサイトで納得するはずです、怖い取り返しのつかない状況のようです。 御心配され続けた事がついに起こってしまい、手がつけらず取り返しがつかない状況となってしまいました。 世の中に警鐘を鳴らし続けて来た人物が、如何に扱われて来たか。 それでも信念に貫かれたお仕事を続けられている。 自分は気ままに自分勝手に生きて来ましたが、わが身を姿を垣間見るような気もなきにしもあらず。 いつだかの講演で「こんな人が集まってくれた、珍しい」と笑われていたのが印象深い。 「安心、安全、すぐに影響なし」等々のプロパガンダが一蹴されるはずです。 このプロパガンダは誰が垂れ流し続けたかは皆様の御想像通りです。 マスメディア(テレビ、新聞等々)、学校も一役を担って来たはずです。 営業する所はスポンサー(資金源)が必要ですので、仕方がない面もあるはずですが、それがまた恐ろしい。 奴(やっこ)となってしまう。 さて学校または教科書につきましては、調べてみしたが案の定でした。 これは御自分でキーワードを入れて検索してみてください。 やはり「安全、環境によし」のオンパレードでした。 本来は「危険性、環境破壊、被曝」について書かれるべきだったはずですが、ああ言うのを使って生徒を惑わして来た、福島の先生達は今どんな気持ちなのか。 先生もやはり手先、提灯持ち、奴に過ぎないと思って間違いなしのはずです。 聞くところによる「戦時中の先生」と変わるところなし。 マスメディアは言うに及ばす。 相も変わらずと言うところでしょう。 「子供を守ろう、Save Child」と言う表題のサイトですが、深刻過ぎて表には出難い内容が掲載されています。 臭いものには蓋と言う言葉がありますが、蓋をしたいだろうが、もはや蓋をしては通り過ぎる事の出来ないほど身近で深刻過ぎる。 「すぐに影響が出ない」だ、「直ちに健康に影響しない」だなんだかんだ言っていられない深刻な事態です。 前出の小出先生がおっしゃっていましたが、事態を明白にする事、「一番のパニックを避ける唯一の手段は正確な情報を常に公開するという態度得策であり救済策のはずです」とのお言葉があります。 もはや嘘は通用しない、それでも嘘をつき続ける。 恐ろしい事です。 そんな事では解決の糸口さえも見えなくなる。 想像を絶する悲惨しか生まない。 あの事故以来、「風評被害」としょっちゅう耳目に触れますが、満更風評とは言い切れないはずです。 かなりの地域がすでに汚染されていて、そこで収穫された食べ物が害がないとは言い切れないし、毎日喰うもの口にするものですので、出来るだけ選ぶしかない。 それでどこまで防げるか、ゴマメノ歯軋りと言うところでしょうが、出来るだけは心がけたい。 それ以前に「風評被害」は「安全、安心、クリーン、低価格」なんてのが一番大きな風評であり、それを長きに渡り流し続けた●、●●マス●●●●があった訳で、そんなのに洗脳され軽信させられた方が被害者であり、みんなが被害者と言っても過言ではなく気づかないのが恐ろしい。 すでに触れましたが、福島の学校の先生なんぞはどんな気持ちなのか、やはり「安全、安心、クリーン、低価格」と教え続けたはず。 風評流布風評被害に一役も二役も買って来た。 自分も勿論だまされ続けた一人に入る。 これでわかったはずですが、一番大きな風評は三つから四つの大きな組織が流し続ける、すなわちプロパガンダの構造です。 すぐに「科学的根拠」云々ですが、人体実験して測定データをまとめて、それから推測して云々するわけですの、実験されていない事に関してはそんなデータもないわけで、根拠云々もおかしな話です。 前述の小出先生もおっしゃっていましたが、「人類が経験した事のない事態に遭遇」、未曾有(いまだかつてあらざる)の事態に直面しているのが現状のはずです。 「内部被曝」につきましては、絶対にその因果関係は証明されないと言う事ですので、何とでも言えてしまうのが恐ろしい。 1ミリの六億分の一の粒子を吸い込んだり飲み込んだりするそうでして、それが色々と長年に渡り悪さをするそうです。 証明が出来ないので疲れからでしょうとかはいくらでも言えてしまうのが怖いはずです。 ですので「直ちに影響が出ない」でも何でも簡単に言えてしまう。 初期症状としては「鼻血、下痢、嘔吐(はきけ)、倦怠感(だるさ)」だそうでして、ひどくなると仕事が手につかなくなるそうですが、原因不明となるそうです。 すでに避難者の中でその症状が出始めているそうですが、「避難生活、避難所生活」が原因くらいで済まされてしまうそうです。 原発は国策だったそうでして、これで国と言うもの見えない正体がどう言うものか、かなり見え出して来るはずですが、途轍もない大災害大惨事を引き起こす危険性を隠蔽し続けたと言う事です。 居直れば「選挙で多数決で決めたんじゃないか、今更何をほざくのか」で一蹴されてしまいそうです。 何度か触れた事がありますが、下に引用の言葉とサイトを参考にして下さい 「民主主義とは美名であるが、これは同時に『多数決による暴力装置』である。」 さて冒頭の「つれづれ草」より始まり、原発事故と被害について、柄にもなく書き続けて来ましたが、やはりそれだけ大変な事が起こってしまったと言う直感のなす業なのでしょう。 わが身を守ろうとする本能が命に備わっていて、その本能がそのままこうして書き続けさせたと言えるはずだと思っています。 「人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る」と第百五十五段に最後に侍(はんべ)り。 今回の大地震大津波で見る見るうちに人も家も船も奪い去られてしまいましたが、勿論そこに根付いた仕事もすべてなくなってしまった。 あっと言う間に、たちまちに奪われてしまいました。 人はなす術(すべ)なくただただ茫然として見るだけしか出来ない。 これに伴う原発事故は「事象」なんて聞きなれない言葉に置き替えられてしまいましたが、あれは「事故、人災」に他ならない。 警鐘を鳴らし続けた少ない人はいたのですが、そんなのは無視して隠蔽して突っ走って来たのですので、自業自得とも言えるのですが、恐ろしい事となってしまいました。 人間ではどうしようもない火の力、もともと「大量破壊、大量殺戮(さつりく)」の為に開発されたものです。 ところが選挙、民主主義、多数ケツと言うのは「だってみんなで決めたんじゃないか、今更何を言うんや」くらいでけりをつける事も出来てしまう。 有権者の半分くらいか投票に行かないし、演説やチラシが本当かどうかもわかないし、ポスターだけで信用できるか出来ないかなんぞは判断する事は出来っこない。 出来っこないのを選べと言われたって、どうしようもないのが現状です。 長年付き合って来た人でも思わぬ面を見せられる事だってある。 そんな事は日常よく経験しているはずです。 人は付き合いで人を知る事しか出来ないのですが、それでもわからない事だってよくある事です。 うろ覚えですがわが祖母曰く「馬には乗ってみろ、人には添ってみろ」。 添わず乗らずでどうやって人を選べるのか。 それを蛮行しているのが選挙だと言っても過言ではないはずです。 原発も安全安心、多数決も理想的くらいに自分もある時期まで騙され続けていました。 先日二十代の人と酒を飲んだのですが、やはり「原発は安全」だと思っていたとの事、思い込まされていたと言うべきでしょう。 どこでどうしてそう思うようにされたのかは容易にわかるはずです。 そっちの方も実に恐ろしい。 先日テレビを見ていました、やはり「原発は安い」云々を強調する人がいましたが、これから賠償、処理不可能な処理にいくらつけを払うのか。 被爆してしまった人にどう償うのか、被爆させた土地海空気をどう取り戻すか。 それだけでも想像を絶するような金を使っても収まらないはずです。 数値を上げているのは賠償額を値切る算段にしか過ぎないはずです。 生まれ育った故郷に住めなくなって、どこへ行ってどうしろと言うのか。 被爆は「受忍」では済まされまい。 戦後の混乱期じゃないんだから。 でもそうして処理したいのが本音なのでしょうから、何とか矢切の渡しならぬ「値切りの渡し」に奔走するはずです。 ここのところ目立つのが「がんばろう東北、がんばろう日本」ですが、どうもぴんとこない、胸に響かない。 「目覚めよ東北、目覚めよ日本」はどうか。 天災は抗いようもなくともかくとして原発事故はあの地方の人々をとうとう難民棄民としてしまった。 また「安心安全低コスト」は美辞麗句巧言令色の催眠商法と言っても過言にあらざるなり。 よく知られる「巧言令色スクナシ仁」、すなわち「巧言令色」には仁と言うものがない。 さて仁とはなにか、胸にジンと来るものです。 だから中国でも仁と言ったとはただの冗談ですが、やはり言葉でなく胸そのままジンと来る。 巧言令色(選挙を見聞するばわかります)には胸にジンと来るものがないとの孔子様のお言葉です。(~o~) 六月九日、もはや福島原発は手に負えない状態となってしまった事を知る、「メルトスルー(溶融貫通)」してしまっている。 それは地下水と海に垂れ流しとなる、大気中に放射能を拡散し続ける。 東京大田区や江東区の汚泥処理場の空気と汚泥からとんでもない放射能が検出される、50キロ離れた県庁所在地福島でもストロンチュームが検出される。 ※ 原発と放射線 − 真実を知り、自分の身は自分で守るしかない −下に引用の書き出しから始まります、ついつい引き込まれしまうはずです。 「放射能に汚染された町も見た目は平穏ないつもの風景ですが、見えない小さな銃弾に子供たちの小さな体は悲鳴をあげています。このままなら、数年後に犠牲になる子供と悲しむ親が確実に増えます。子供たちを放射能の危険から守れるのは大人だけです。 放射線なんて専門家以外は知らなくても困らない時の方が幸せでした。でも私たちは放射線と関わらずには暮らせなくなりました。それなのに政府と原発学者は本当のことさえ話しません。政府と学者もいつかは良心に目覚めるでしょう。マスコミの報道もいつかは正されるでしょう。しかしそれは大きく被害が広がった後です。待っていたら手遅れなのです。」 上に掲載リンクしています、「子供を守ろう、Save Child」と言うサイトに紹介されていました、わかり易いサイトです。 世の中には何だかんだわかりにくくする人と誰でもわかりやすく話す人がいます。 わかりにくくする人は自分の専門知識をひけらかして目くらましして優越感に浸る、わかりやすくする人は人を見て対象となる人に合わせて説明が出来る優れた細やかさがある。 どんな仕事でも同業者同士専門家同士でする話と庶民とする話で話し方を臨機応変に出来るか出来ないかでその人の心映えが見えてしまうものです。 皆様の周りを見渡すとすぐに合点できるはずです。 前述の小出先生曰く「電力会社とマスコミとで騙してきた。」との事です。 (引用 「小出裕章氏(京大原子炉実験所助教)非公式まとめ」 学校も追加しておきましょう、それを管理監視するところも、言わずもがな。 六月十一日土曜日、本屋で「原発のウソ」を買いました、原発に関する本が色々と並んでいたのですが、すかさず小出先生の御本を手にしました。 休みに日曜日と月曜日の朝で一気に読み通してしまいました。 原発を知り尽くした原発研究者として原発を止められなかった御無念と悲哀からこの本は始まり、根底には一貫して、その嘆きが流れている。 どうも自分の頭は数字に弱いのですが、誠心に貫かれているのはしかと感じました。 そんな事は一度もした事がなかったのですが、著者にお便りを差し上げたく思うようにもなりました。 原発は怖い、平時でも「死の灰」を振り撒き、海も7℃も温暖化する、その他の低濃度廃棄物処理もあるとの事。 今回の福島原発事故でもわかったのですが、更にその廃棄物の処理となると処理不可能である事がわかりました。 その後にインターネットの動画で拝見致しましたが、その中で原発は「トイレのないマンション」との言葉がありました。 言葉はド汚いが「糞だらけの部屋」に誰が住めるのか。 それも減ることなく増えるばかし。 なんでこんな途轍もない怖いものを「安心安全」を看板にして押し通して来たか、推進して来たのは一体誰なんだ。 もうすでに54基もあるそうでして、よしんばすべてを即停止し廃炉としても、汚染された猛毒廃棄物の処理には10万年から100万年もかかるそうでして、一円にもならない大変なお荷物を誰が一体面倒なんか見るのか、信じられない。 やはり原子力不安院と揶揄されるだけの事はある。 六月十五日水曜日 福島相馬市の酪農家が自殺していたのを知る、「原発さえなければ」の言葉を残して。 搾った原乳を毎日捨てる日々に疲れ果て、牛まで売却してしまったそうな。 どんなに無念だったか、涙が落ちて止まらない。 仕事をして丹精して作ったものを毎日捨てざるを得ない、そんな暮らしは想像を絶する。 気の毒だひど過ぎる、何で救済の手を差し伸べられないかったのか。 ひどい事を仕出かしてのうのうと暮らしている連中が現にいるじゃないか。 大気汚染、土壌汚染、海水汚染し放題、いい加減にしねぇーか。 それ以前にも有機栽培を手がけた農家の人が自殺したのを聞き及んでいましたが、長年丹精した土壌がもう駄目だと絶望されたそうな。 御無念痛み入り候。 放射能は「見えない、匂わない」から怖い、怖さの実感がないのが怖い。 臭うものならばすぐに避ける、雷雨があれば雨宿りもする。 それが出来ないのが放射能で、忍び寄るように被害をもたらす。 しかも何百年に渡ってとの事です。 一昔前なら、「その怨み晴らしましょう」なんて時代劇番組もありましたが・・・。 六月二十二日夏至 本日より一週間以内、遅くとも一ヶ月以内に、原発を国策と推進して来た国、国に従属管理される学校、太鼓もちで宣伝し続けたマスメディア等々が如何なるものか、化けの皮が剥がれてしまうような気がします。 原発の放射能の汚染水があふれ出して、手に負えなくなってしまう夢を先日昼寝の時に見ましたが、正夢となるのではと感じています。 原発難民に心ある救済の手を差し伸べる事なく、放置し続けてへたばるくたばるのを待っているようにも思われる節あり。 「すべて、一切の有情(うじょう)を見て、慈悲の心なからんは、人倫にあらず」と第百二十八段に侍り(はんべり)。人倫にあらずとは人であって人でなしと言うところでしょう。 前述の「巧言令色スクナシ仁」のジンは如何なるものか濁していましたが、上の文と併せ読みますと、ここで何となく感じが掴めたのではないかと思います。 先日お話をした茨城県からの方が自家用に自家製のお茶を捨てたそうですが、やはり「原発さえなければ」との思いが胸底にあるはずです。 法律、法制化と騒がしいのですが、今回みたいな事態が発生すると、突如違反の数値も平気押し通す。 何の為の法律かわからない。 自ら破る為に時間と金と労力を掛けたのかと疑わざるを得ない。 臨機応変と言うよりはもともといい加減なものだったのでしょう。
緊張が続きましたので、ここで一息入れましょう。 カレンダーから絵を撮影しました。 小野竹喬(ちっきょうと言う画家の「漏れ日」と言う絵です。
こんな故郷のふところからも追い出されて二度と戻る事あたわざる犠牲になった人々が多くいる、義憤を感じます。 「原発さえなけば」と言う「怨みの声」が響き渡るような気もしてきます。
と題されたブログを見つけました。 福島市に住んでいる人々の痛ましいどうしようもない悲しみと怨みと憤りの慟哭が伝わって来るやる瀬ないサイトです。 あの日から普段の生活を壊されてしまった、しかも実感の薄いのが恐ろしいはずです、忍びよる被害に怯えなければならない。 福島で採取した土や松を測定したら、針が振り切れてしまったとの小出先生のお話も聞きましたが、それでも「安全、心配なし」と言いつづけている似非学者もいる。 東京や近郊ではその実感はもっともっと薄いのですが、やはり忍び寄る被害に晒(さら)されているのは間違いなし。 都心を見ていますと、その喧騒は相変わらずですが、みんな内心どこかに不安を持ち、怯えているのは確かのはずです。 本来ならば少なくとも福島県民全員を避難させなけらばいけない状況ですが、数値を上げて被害の矮小化を図っているのが事実のはずです。 すぐにばれないのが嘘ですので、その場凌ぎは出来る、十年後二十年後になれば因果関係はいくらでも誤魔化せる、そう踏んでいるはずです。 誰かが言っていました「すぐにはばれないので影響なし」と。 まぁー常套手段なのでしょう。 国民のみなさま、県民のみなさまと呼びかけて来た連中がどんなものかは、もうおわかりのはです。 こんな状況での一方、小笠原が何とか遺産と言う事になったそうでして喜んでいる人もいる、自然を畏敬しようとし保護しようとする一方、海でも土でも水でも空気でも汚してを毒を拡散して知らんぷりと言うのも現状です。 どうなってるのかわからない。 しかも原発の廃棄物は処理も出来ずにただ埋めて百万年とかですので、狂っている。 もう戻れない、戻せない。 こうしてあるきっかけからああだこうだと書き続けれれば「あやしうこそ物ぐるほしけれ」と言う言葉がそのまま感じられてします。
「自分で自分の国を滅ぼす馬鹿がいるかぁー」と大きな声出して叫びたいくらいです。 あるサイトに「被曝でなく自爆だ」と書かれていましたが、日本もよく海外で見るような「内線」状態言っても過言ではあるまいと感じました。
「床屋政談」 七月四日 昨日暑くなったの早めに近所の床屋へ行く、そこで「床屋政談」となってしまいました。 大体床屋はサービスのつもりなのでしょうが、おしゃべりでして、面倒くさいので居眠りをする事にしている。 ところが昨日はどうした事か、多分憤懣がたまっていのでしょう、床屋政談となってしまいました。 行き付けの床屋さんは福島の二本松の御出身だそうでして、話は進んでしまいました。 二本松では警報が出ると、換気扇やエアコンも使わずに室内待機となるそうでして、この糞暑いのに堪らないはずです。 30キロ圏の道路一本先は無保証無賠償地区で風はどこでも行き空気は流れるくらいにの当たり前が通らない。 賠償が起きた場合の「値切りの境界線」なのでしょう。 いい加減にしねぇーか。 自分の住んでいる近辺でも福島から三十世帯が避難しているそうでして、先日床屋へ来たそうですが、故郷のにおいでわかったとの事でした。 「もう帰れない」と早く言ってあげないといけない。 また近所の保育園でかなりの測定値が出たとか、放射能は風に乗ってどこへでも拡散される。 帰りがけに「安全保安院」でなく「安全不安院」との事で、これは座布団一枚だろう。 そう本日より「原子力安全不安院、安全不安委員」と改名すべし。 庶民は馬鹿なようで何でもわかっているんだ、悲しいかな、ただ何も出来ない。 ここを突かれてしまんだな。 「安全のかつらを被る保安官」 こちらも最後に「お国の為だ、経済発展の為や、福島県民は被曝を続けよ」と学校で先生が言ったらどうだ、今まで「安心、安全、エコ」云々を教え続けたきたんだろう。 このくらいの事は生徒に平気に言えるわね。 経済経済ですが、もとより「経世済民」を縮めて使っているのですが、ちじめると違う言葉となって一人歩きしてしまう。
「安全不安院」の言葉が出ましたのでグーグルで「安全不安院」で検索しましたら、出るわ出るわ400万件以上がありました、その中の上位に上のバナーのサイトを見つけリンクしました。 見事な福島のさくらの名所もおいしく食べられて果実も掲載されていますが、当たり前の憤りが溢れて出ています。 現地の作者には申し訳ありませんが、自分は出来る限り東北と関東の野菜は避けるように努力してはいます。 これも当然の事とすでにおわかりのはずです。 それでも先日間違って常陸中の秋刀魚の干物を食べてしまいまして、干物はうまい、おいしかったのですが、今後は買わないようにしましょう。 それが現状なのはサイトの運営者も誰でもよく御存知のはずです。 このまま行けば東北の、特に福島の一次産業は壊滅してしまうのは確実でしょう。 そこで当然の事損害賠償が起きるのですが、そこは手馴れたものでして、数値をあやしく上げて、安全としてしまう。 このサイトにも書いてありましたが、自分で決めた法律を自分の都合のいいように破る、これが法治国家の実態、馬脚が現れた、化けの皮がはがれたと言う事です。 これまで旧ソ連、北朝鮮、中国もひでぇー国だと思っていましたが、負けず劣らずが自分の国とは。 負けてたまるかと言うところでしょうか。 「負けたらあかん、負けたらあかんねん」。 論語に之あり、「詩三百、一言以って之を蔽う、思い邪しまなし」と。 色々と自分もついつい書いてしまうようになってしまいましたが、これも「原発さえなければ」と言う事になってしまうはずです。 あれさえなければ、こんなに夢中になって書き続ける事もなかったのは確かなはずです。
七月六日 「時勢或いは興諭に深い疑いを抱いた」、まさに前述の「原発のウソ」の著者、小出先生の言動の発端をずばり言い当ててるでしょう。 先生はいつも謝る、どこでも謝る。
講演会の予定表を覗きますと来春まで土日(一部平日を含む)がいっぱいになっています、平日は働かれいるはずですし移動も考えれば、ほぼ年中無休と言う状況なのでしょう。 「原発を止められなかった、しかも心配していた事故が起こってしまった」御無念と失意がそうさせているのでしょうが、御自愛されたしとしか言えない。 今回の福島原発事故の異様なのは推進して来た側から一切謝罪の言葉がなく、それでもまだ推進しようとしている奇妙さを感じる。 福島も国が安全を保証したからこそ、住民が同意したはずなのに、いざ事故が起きるとで数値を上げたり、避難地区を限定してりして、逃げの一手ばかし。 ですのでそんな保証云々なんぞはどんなものかは、すでに化けの皮がはがれてしまった訳ですが・・・。 それに比べて原発に危険を知り尽くし原発に反対して来た小出先生は非力を痛感してすぐに謝る。 本日今噂の「玄海原発」について、成る程町長が受諾する訳だと合点する内容が書いてあるサイトを知りました。 「Hunter Investigative Journalism」と言うサイトです。 七月十六日 「原発のウソ」に続き七月十七日発売の「原発はいらない」、小出裕章先生の新刊を二冊購入。 二冊購入には自分なりのささやかな支援のつもりもあるのと同時にここに書かれている情報の拡散の為に知り合いにあげてもいいとの気持ちもある。 帰りの電車ですぐに読み始める。 職業と経歴は違ってもオラと同類だと実感する、共に「時勢或いは興諭に深い疑いを抱いた」仲間と言う事か。 同じ穴のむじなか。 あとがきに「一人ひとりのみなさまが今後、自らの内部からわきあがる思いに従って、それぞれの個性を発揮して行動してくれるなら、日本だけでなく世界中の原発を廃絶させることができると私は思います。」とある。 原発は怖い、稼働中は勿論、停止しても怖い。 その猛毒廃棄物の処理は出来ない、三百万年なんて人類が存在するかしないかもわからない程の歳月がかかる。 これまで自分は全く気にもせずに暮らして来たのですが、あの三月十一日以降は、それでは暮らせない羽目となってしまいました。 飲み物食い物、吸う空気、すべてがそのまま無意識では暮らせないような状況となってしまいましたが、それでも被害の隠蔽ばかしが続く、まだまだ原発推進なんて気狂いも多い。 チェルノブイリ事故の当時の輸入規制基準よりもっともっと緩い基準を自国民に押し付けようとしているわけですので、もはや正体ばれたりと気づかないといけないのですが、気づく人は存外少ないのが現状なのでしょう。 この事故とその対応で自分のこれまでもすっきりしなかった疑念もかなりすっきりとしました、世間の好きな一流企業の正体も国の正体もはっきりとしたはずです。 「利は独占にあり」か。 それにマスメディア、学校の役割もわかるはずです。 先日例のNHKのアナウンサーが九電のやらせメールに触れて、「今は世論を操作出来る世の中ではない」云々をのたまわりましたが、誰しも己の姿は見えないものなのでしょう。 世論操作に一役も二役も買っているのはどこかな。 そうそう、ここもやはり独占企業で何でも通る、頼みもしないのに一方的にくだない放送や世論操作の為のニュースを流し続け、徴収できる。 「やめられないスポンサー」なんてどこにあるんだ。 一言で言えば「人倫にあらず」と言う人たちが大手を振っている。 福島の学校給食では福島産の牛乳を飲み野菜を食べるのを強制されてるとか・・・。 汚染牛肉が流通して大騒ぎしているのに。 数値を上げて平気で被曝させる。 「ただちに影響はない」か、信じ難いが事実ですので、やはり「人倫にあらず」、人でなしの仕業です。 「すべて、一切の有情(うじょう)を見て、慈悲の心なからんは、人倫にあらず」と第百二十八段に侍り(はんべり)。 「原発はいらない」を一気に読み切ってしまいましたが、「揺るがざる信念を貫く人の輝く姿を見た」と言うのが読後感です。 「原発とは毒物製造装置」とのお言葉がありました。
さて浮かぬ気持ちが続きますが、ここで一息入れましょう。 左の蓮の画像をクリックされると、そんな浮かぬ気持ちを払拭しようと撮影しました写真集を御覧頂けますので、しばし休息しましょう。 結局人は人類はバカなんだ、「わたし馬鹿よね、おバカさんよね」なんて演歌にありましたが、馬鹿もいいところです。 化学科学が発展しだしのは18世紀でしょうか、産業革命以後となるのでしょう。 それから発展発展、飛行機も飛ばせる、月にも行ける、何でも出来る、おねいにもなれる、大量殺戮大量破壊も出来る。 そんな事でいい気になってしまったのでしょう。 天災の前に何一つ出来ない癖に、津波で流されるしまう人も家財も車も船もをただただ茫然自失して見るしか出来ない癖に。 畏(おそ)れを忘れてしまい、畏れる事は縄文人のした事くらいに奢ってしまったのでしょう。 やはり原爆を造って以来、何もかも相当おかしくなってしまったのでしょう。 放射能でやられたか、それとも人の怨念か。 また福島に戻りますが、原発が出来た時は諸手を挙げて喜んだ人達も多かったはずです。 そりゃそうだ、過疎の寒村が交付金と言う麻薬で、公民館が出来た、あれも出来たこれも出来た、もう出稼ぎいかねぇーで済む、じいちゃんばあちゃんに楽させてあげられべぇー、人が集まり商売繁盛と言うお祭り騒ぎがあったはずです。 この時に「何でこの寒村に莫大な金が支給されるのか、何か裏があるのではないか」と怪しんだ人も必ずいたはずですが、時勢と言うものは洪水みたいなものですが、そんな疑心も押し流してしまったはずです。 さて40年程時が経て、大惨事が起こってしまいました。 誰しもまさかと思ったはずですが、そのまさかが起こってしまいました。 もうどうしようもない、手が付けられない。 まずは「福島県民は全員被曝せよ」とのお国からの命令がありました。(数値を上げてしまった) そんでもって子供の学校給食は「地産地消」の新鮮で体にいいお野菜、牛乳を召し上がれとの事です。 怨念深しか。 「領地召し上げの上、彼の地を原発猛毒廃棄物専門地区とす」何処かからでそんな声が聞こえて来そうです。 新たに随所関所を設けよ、福島より一人(いちにん)たりとも逃すべからず。 赤子より老人に至るまで全員被曝させて人体実験を敢行せよ。 原発を造って頂きありがたくも潤って来た人達が、突如怨多き人となってしまいました、こんな状況を「徒然草」を鏡として映し出してみましょう。 「人に戯(たはぶ)れ、物に争ひ、一度(ひとたび)は恨み、一度は喜ぶ。 その事、定まれる事なし。 分別みだりに起りて、得失止む時なし。 惑ひの上に酔へり。 酔の中に夢をなす。」と侍(はんべ)り。 七月二十六日 田中龍作と言うフリージャーナリストのサイトを御紹介したい。 福島原発の被害者について自分の足で丹念に調べて報告しているジャーナリトと思われる。 記事を売っているかどうかはわかりませんが、真実を伝えようとする記事はどうせ買ってはもらえないだろうし、スポンサーと言う資金源があるわけでもないらしいが、地道に調べてサイトに掲載している様子です。 最近時々よく閲覧するようになりました。 福島の人々の切実な追い詰められた状況をそのまま伝えようとすれば、業界からはじき出されてしまうはずです。 新聞テレビは嘘八百をやっていればいい、その方が金になるはずです。 原発を「安全、安心、必要、安い、環境によし」と騙して来たマスメディアの罪も同様に重いはずですが、それでも今度は「電力不足、電気代値上げ」と脅迫みたいな事を言い続けて、原発推進を裏で支援する。 そんな事から離れて(free fom that i.e. free Journalist)真実を伝えようと努力する人は世間から冷遇されてしまうはずです。 このサイトでも資金援助を求めていますが、しばらく様子を見続けてから、些少なりとも支援したいと思っています。 自分にはその切なさは実感出来る。 俺はすでに新聞を取るのを止めたし、テレビも地デジ移行を機会に「テレビの伝えるようにさぞかし電力不足なはずでからテレビも止めましょう」(~o~)と思って止めましたので、その分年間五万円以上は浮きますから、些少の支援は出来ます。 ーーーー 続く −−− 気が向いたらまた書き出します。 1ページ | 2ページ | 3ページ | 次ページへ
|