行って来ました、行って来ました、朝一番で。 四月五日朝八時五十分頃、駒込の六義園に入園しました。 九時開園と思っていましたが、この日は特別に少し早めに開けたそうです。 二日前の四月三日は春の大嵐があり、気を揉んでいました。 自分の予定では、四月九日の休日に行くつもりでしたが、それでは散ってしまいそうでしたので、急ぎ仕事の日に正午頃出勤を決めて朝一番で行き、六義園から地下鉄で次は小石川後楽園と決め込んでいました。 「明日ありと思うこころの仇桜夜半にあらしの吹かぬものかは」 親鸞 美事に咲いて迎えてくれました。 まさに「その時を得たり」と言う事になりました。 しかもこの日は好天に恵まれて青空に枝垂れ桜が映える。 仇桜とならずでしたし、気をもんだその分、悦び多しと言う感じでして、しばし溜息ばかしの満足した時を過ごせました。 「天地の間、萬物その時あり、その時を得ずんば一物もなるべからず」 二宮尊徳 遠い記憶からいつか耳にした「死んで花実の咲くものか」と言う言葉が浮かび上がる。 命あらばこその、お花見です。 歳のいかない時分には感じられない、命のありがたさをしみじみと感じた次第です。 うっとりとしてただただ溜息が漏れるばかしで、言葉は不要となる。 人の表現で「ため息」こそ素朴にして多様、言(こと)の葉の源泉なり、歌の基いならざんや。 鳥が鳴いたりするのと同じだと感じるようのなりました。 「欣喜雀躍」とは中国の言葉ですが、雀(すずめ)の鳴き声を朝聞いていますと、喜び躍る姿を感じるものです。
悲しい事、恐ろしい事、理不尽な事ばかしの世の中ですが、これこそ命あるありがたさなれと心(しん)から感じ取れたひと時です。 帰りがけに振り向く、離れても振り向く。 椿もいい、待ち望んだ春はいい。 冬の寒さあればこその春の喜びなれや。 昨年も四月五日、今年も同じ日の訪問となりました。 今年は遅れそうと思ったのですが、そう言うものなのでしょう。 これまた人智及ばざる事ならざんや。 予定通りに地下鉄に乗り、小石川後楽園に向う。 →小石川後楽園枝垂れ桜 「季節の花 300」と題するサイトは実によく花について調べられていまして、時々参考にしています。 必ずお役に立つサイトのはずです。
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