十一月の上旬より撮り始めました。 今年は格別秋の風情の豊かさを感じる次第です。 撮影日順に編集して行きたい。
紅葉黄葉を中心とするのですが、同時にこの時期に咲き出す花も掲載します、花は主にさざんかとなります。
今年は父が亡くなり十年となりますし、この夏に母が八十八歳に二週間ほど届かずに亡くなりました。 父の命日も忘れて
しまっていたくらいでしたが、ある時に位牌を見て気が付いたのですが、それが丁度命日でした。 亡くなった頃はちょうど紅
のさざんかの咲き出した頃でしたので、見に行きますと今年は少し遅くなったのでしょうか、まだまだ蕾みでしたが、今にも咲
きそうでした。
銀杏、もみじ、かえでは言うに及ばずですが、櫻の紅葉黄葉も実にいい。 春の華やかさとはまるで異なる趣きの姿を見せ
てくれ、味わい深い。 落ち葉を踏んで歩いていますと、落ち葉のいい香りがします。 人はここまで細やかに造られているの
かと普段は意識もせずに暮らしているのですが、今更に驚いてしまいます。 これは人業(ひとわざ)にあらず、いにしえの人
が畏(かしこ)み名付け御名(みな)を唱え崇めたように、産巣日(むすび)の神の御仕業(みしわざ)なるかな。 そうとしか
思えない節大いにあり。
さて夢中になって編集して来ましたが、後数日で自分が今年はどうしても行って撮影したい場所へ行く予定です。
九月頃にはどこかそう遠くない名所へ旅行をしてなんぞとも思っていた時期もあったのですが、どうせ人ごみで大変
だろうし、生来の無精からそう遠くないところで済まそうと思い直し調べましたら、都内有数の紅葉の名所名園がある
のを知り、そこならばと都合のよく早朝に行けば人も少ないはずと思い行く予定にしました。 十一月二十九日月曜日
に訪問予定としました。
今更に神経(神気と経脈)と呼ばれているが如く、人の感じ方のすごさに驚くばかりです。 目も勿論、鼻も然り、撮影
したり編集したりする手や指先も然り、それを編集する頭も言うに及ばすと言うばかしで、目を見張るばかしです。 また
同様によくも森羅万象が千差万別の姿を見せてくれ、それを感じ取る事が出来るのか、ため息が出てしまいます。
感嘆あるのみと言うしかない。
産巣日(むすび)の神の御仕業(みしわざ)なるかな。
十一月二十九日月曜日に予定していました「駒込 六義園」は次のページへ
十二月一日になりまだまだいける、後ろ髪引かれ惜しみて、またまた撮ってしまいました。 後一週間も持たずに散って
しまうはずです。 今年は「もみじの奴(やっこ)」となってしまったようです。
平成二十二年の年末でこの写真集は終わったつもりでしたが、二十三年新年の二日の日に近所の神社へ初詣となっ
たのですが、その行きすがら、散り残るもみじの新年の暖かい日差しに惚れこんでしまうお姿を見てしまいましたので、撮影
して追加します。 やっこさん、奴さん、おらはもみじのやっこさん。
気付く人は少ない、みんな通り過ぎてしまう。 ここに幸あり、寶あり。
「季節の花 300」と題するサイトは実によく花について調べられていまして、時々参考にしています。
必ずお役に立つサイトのはずです。