前のページに書きました予定通りに十一月二十九日の早朝、九時の開園とともに「駒込 六義園」に入りました。 すで
に五人程度が待っていました。 おらが一番乗りかと思いきや、さきがけありけるかな。(*^_^*) 冗談はさておきまして、こ
の庭園には二十五六年前に一度来た事があったのを思い出しました。
さて門脇ににいい紅葉がありまして、いきなり感嘆し魅了されてしまいました。 撮るぞ、撮り捲るぞと言う気持ちになり
ましたが、メモリーカードが一杯となって残念な結果となりました。(*^_^*) それでも百枚近くですので丁度いいのでしょう。
撮影の後に編集があり、こちらが大変な作業となり労力が必要になります。
ここまで一気に来てしまいました。 もみじの奴(やっこ)となってしまいましたが、「夢中になる」、「こころを取られる」、「引
き寄せられる」、「魅了される」とかの代わりに「奴(やっこ)」とはいい表現でしょう。 実はこれはわたくしの言葉(ことのは)
ではなく本居宣長様が秋の夜長の慰めに花(さくら)の歌を詠み出したら、いつしか三百余首になってしまったとの話を読ん
だのですが、そのうちの一首に「わが心 やすむまもなく つかれはて 春は櫻の 奴なりけり」と言うのがありまして、ここ
から得た言葉です。 自分は無知無学ですので恥じらいもなく替え歌を作ってみましょう。 「まねぶ」より始めましょう。
「わが心 やすむまもなく つかれはて 秋はもみじの 奴なりけり」ですが、「やすむまもなく つかれはて」ほどにはなれ
ませんでした。 それでもため息ばかりが出ていたのは確かです。 そう、ため息を漏らすは歌の始めなり。 それに一気
呵成に画像処理編集しても疲れ知らずであるのが、やはり「やっこ」となってしまった証(あかし)なのでしょう。 言葉は頭と言
う「さかしら」が働く、ため息は心身より湧き出(いず)」る言葉の源(みなもと)なり。
ここからは「藤代峠(ふじしろとうげ)」と呼ばれています園内の高台の下、昇り降りながらと昇ってからの撮影となりました。
藤代峠に昇って憩う。 いい眺めです、「絶景かな」と言いたくなるくらいです。 しばしの憩い、朝一番だった御蔭で誰もいな
いでのんびりと椅子に座り「殿様気分」を味わいました。
今夏に亡くなってしまった母にも見せたかった、自分が代わりにしっかりと眺めてやろうと言う気持ちになりました。 後で感
じたのですが、自分の隣に座っていたのではとの気もしました。 画像をしげしげ眺めて感嘆しているうちに、「●ーちゃん、い
いね、綺麗ね」との声を聴いたような気になりました。
さてこの庭園「六義園」」ですが、元禄時代に柳澤吉保と言う大老が隠居後に手ずから造園設計にかかわったと言ういきさつ
があるそうでして、今に伝わる風評はさておきまして、「もののあはれ」を知る人なりと信じます。
テレビドラマなんかでは「赤穂義士」に登場するのですが、世の中の成り行きで演じざるを得なかった役と本心とは違う様子を
見せる事はよくある事です。 本業での自分を多少知る人は自分の「もみじの奴」となっている姿を知る由もないはずです。
世渡りとはそう言うもののはずです。 おのれの本意(ほい)ならざる事にも精を出さざるを得ない。
良寛様の歌にこう言うのがあるそうな。 「形見とて何か残さん 春は花夏ほととぎす 秋はもみぢ葉.」。
「秋はもみじ葉」、これ以上の貴き形見があるでしょうか。 これほど人を奴にしてしまうものはこの世にあるやなきや
とそれくらいにも感じてしまう。 春の櫻は言うに及ばず、また櫻の舞い散り落ちる姿も然り。 夏のほととぎすですが、
こちらはほとんど無縁、秋のもみじ葉は身近で惜しみつつ堪能しました。
今年の「もみじ狩」の画像もここで終わります、もう一度と思っていたのですが、時間も取れなくなりましたし、嵐みたいな雨
風がありましたので、今年再度訪れる事にはなりませんでした。 画像を観ながらもため息を漏らしています。
御堪能頂ければ幸甚なり。 「共に愛でる道共によろこぶ道、ここにあり」と信じます。
このえにしこそあはれなれ。 遊楽
本年は大変な年となってしまいました。 猛暑のなかに実母に続き義兄の葬式もありまして、よくぞ乗り越えられたと感心する
ばかしです。 一時約二週間くらいですが、酒ばかし飲んでいた時期がありまして、朝の五時から飲んだ時もしばしばあったくら
いでした。 あれからもう三ヶ月が過ぎてしまい、身が軽くなったせいもありまして、仕事にいよいよ精を出せるようにまで快復し
ています。 体に不調もなく活気あるのは御先祖様の御守護ありと信じています。 また仕事を持って精を出せるので救われた
との感を一層強くしている次第です。 もう師走の初めです、もうすぐに来年となります。 今年の残りの日々は無病息災で越し
たいと念願するばかしです。
とこう書いた後の十二月四日に元気でお茶目なおばさんが八十九歳で亡くなりました。 わが老母の事を最期まで気にされた
いたと聞きましたが、人の情けえにしの妙を感じました。 有難い事です。 母はおばさんより三ヶ月ほど前に知らせずに亡くなっ
ていました。 この事につきましては非難される親戚もいましたが、自分の気持ちと配慮熟慮を心映えをおばさんは納得してくれ
るはずだと信じます。
十二月十日、そうだ画像ですが、亡くなったおばさんに献花しようと銀座の一丁目で白と紅のさざんかを供える事にしました。
前のページへ戻る 身近な所で撮影したもみじ、いちょう、さざんか等々を掲載しています。
「季節の花 300」と題するサイトは実によく花について調べられていまして、時々参考にしています。
必ずお役に立つサイトのはずです。