銀座一丁目幸稲荷神社
ずっとほったらかしでありましたこのファイルに一文を添える気持ちにやっとなれまし
た。
この神社は江戸時代よりあるそうでして、当時ここら辺は鍛冶屋が多かったようです、
近所の「鍛冶橋」と言うと名称も残っているくらいです。 江戸の頃よりそれこそ数え切れ
ない無数の念願がかけられて来たのは間違いなしですので、その事に思いを馳せますと
胸中が熱くなるような気もしてしまいます。 自分もいくつもの願をかけて来ましたが賽銭
わずかで願いは多しと言うところでしょうか。
商売繁盛無病息災家内安全は勿論、病人の快癒を念願したり、悲しみを乗り越えられ
ように願ったり、これではお稲荷さんも堪らない。
人はおのれの非力を感じる時に祈るしか出来ないのを悟る、それだけしかで出来ない、
何か頼る拠り所が欲しい。 そんな切ない心が神社を建立したのではないか、ふとそんな
事を思ってしまいましたが、神社の縁起に少し触れたような気もします。
数年前に周辺が地上げされたのですが、その地上げした会社が倒産してしまいまして、
現在もこの幸稲荷神社だけが鎮座しています。 今後の事はわかりませんが、ある近所
の人の「罰が当った」と言う事葉を耳にした事がありました。
銀座に残された路地にうなぎや、魚屋、今は亡き有名な閨秀歌人の飲み屋があったりし
ました。 何度かその人をお見かけた事がありましたが明治の女と言う感じで御高齢でも
化粧もきちんとしていたのを覚えています。
何故きつねを祭るのかと言う疑問が起こるはずですが、聞いたところによりますと、きつ
ねが体に稲穂をつけて動き廻ったので稲が行き渡ったとの事です。
一粒万倍の言葉の通り哉。 然もありなむと今更に思う次第です。平成二十二年五月十八日