以前からずっと雪に咲く「冬ぼたん」を撮りたいと思ってはいましたが、思いは叶わずと言う事でした。 それはこの時節「上野東照宮 冬ぼたん」の広告がよく電車や駅にあるのですが、そこの画像に勿論雪に咲くぼたんの写真が掲載されています。

 ところが自分の暮らすこの南関東では雪が降るのはせいぜい一回から三回くらいのはずでして、その折にすぐに駆けつけると言う事もなかなか難しい。

 そうやこうやして来ましたが、先日の一月十七日に所用で出かけた折に、三十分程寄り道をと思い訪れたところ、残雪に咲く見事な冬牡丹(寒ぼたんを含む)にお目にかかれてしまいました。 念願遂に叶えたりや。

 寒いので外へはあまり出たくないのですが、「雪に咲き誇るぼたん」の為ならばと言う気持ちとなったはずです。

 前書きよりも写真(真を写す)、言葉よりも画像です。 能書きよりも実践や。 下のそれぞれの画像をクリックされると特大で御覧頂けます。

 

 古語に『之を思ひ之を思ひてやまざれば(思之思之不止)天、之を助く』と伝へり。」とは昔「二宮尊徳翁夜話」で読んだ事がありましたが、まさにその通りとなり、かねての思いの叶いました。 

 さて尊徳翁は「学歴」もないのに、相当の教養があったのですが(^^♪、原文の出処はどこの中国の書物かとは、こちらはとんと知りません。 大學とは中庸とかは耳にした事がありますが、その程度の想像しか、自分には出来ない。 自分の多少は知るのは孔子の論語くらいでして、しかもそのほんの一部をわかったのかわからいのかわからない程度のものです。 江戸時代までやはり漢語に精通した人があり、文章も漢語で書けたわけですが、今となっては英語くらいは何とか読み書きが出来る程度が今の自分です。

 ちなみに「教養」とはケチな知識をド頭にフォアグラのようにぶち込むのでなく、みずからを「教え養う」もののはずですので、今の感じとは異なるのは確かのはずです。(^^♪ 

 漢字だけの文章が書ける人は今では稀なはずです。 いずれにせよ、写真には素養さえも不要ですので、自分なんかに有難いものです。 すべていいデジ亀のお陰様と言っても過言ではありまへん。

 冬牡丹は勿論の事、蝋梅も撮りたいかったのですが、蝋梅が咲き出していました。 まるでロー細工のような花びらから蝋梅と名付けられたはずです。  この花を見ると梅の咲き出す頃がおのずと待ち遠しくなる。

 

  この「冬ぼたん」ですが、人の手で大事に大事に育てられたたゆまぬ努力の結晶と言うべきものです、真冬の寒さに見事に咲く、藁を被せて囲いをし手入れをしての開花です。 自然のままではこうは行かないはずです。 天自然のままではこうは行かない、風雪から護り抜く人道まさにここに開花せりと言うべきはずです。 天道人道の違いがはっきりと感じれる。

 さて下には「冬ぼたん」ではなく紅いつばきの雪に咲く姿を掲載してみました、これは近所で撮ったのですが、やはり雪に咲く椿もめったには撮れない。 真っ白な雪に紅くつばきが咲く。 おまけです。 演歌に「雪椿」と言うのがありますが雪国の歌でして、趣きは違うはずです。 こちらは南関東の「雪椿」と言う事にしておきましょう。

 

       

     

 「季節の花 300」と題するサイトは実によく花について調べられていまして、時々参考にしています。 必ずお役に立つサイトのはずです。