いつまでも寒く、とうとう三月の十二日となってしまいました。 この日を待っていた、待望の訪問となりました。 所は小石川後楽園です。 昨年は多分二月の二十日頃と覚えていますので、約二十日ほど遅れて訪問となりますが、遅れたその分、悦び一塩と膨らみました。 「まだかまだかも花のうち」と言うべきなのでしょう。 期待に胸膨らむのが一番いい時期なのかも知れない。

 「恋の至極は忍ぶ恋と見立てり、逢ふてからかは恋の丈の低し」と葉隠れに侍り、ふとそんな言葉を思い出してしまいました。

 さて昨年の三月十一日は忘れもしない東日本大震災大津波があった日でした。 同時にあのおぞましき原発爆発、未だに被害は続き解決なんぞは出来ない危険な状態です。 更に遡る事、昭和二十年、1945年3月10日は東京大空襲で、わが両親が想像を絶するような大変な思いをし、戦火の中を逃げ惑った日でもあり、その時に許し難き無差別テロとも言える大虐殺で十万人以上が犠牲となり、その罹災者は三百万人にも及ぶと聞き及んでいますが、犠牲者十万人と言ったら昨年の大地震大津波どころじゃない、原発事故被災者を加えても及ばないくらいの犠牲でした。 ひでぇー事をしたもんだし、ひでぇー事をさせたもんでした。 それがかの国であり、この国の正体なのでしょう。 そして同じ構造が今にも続く、あの原発事故以来そう感じています。

 3.10、3.11、どうも疑わざるを得ない節もあるような気がしてなりません。

 自分はあの大災害の犠牲者被災者に遠くで見て何の手を差し伸べる事も出来ませんでしたが、今年は思いっきり目出度さの溢れるファイルを作り、それを自分のせめてもの支援として捧げたい気持ちが強くあります。 

 悲しい事辛い事ばかしでは、この世を生きるのが嫌になってしまいます。 この世にはまことに「目出度き事こそ多かめれ」と言うファイルを作りたい。 寒さを凌ぎ迎える春のめでたさは格別のものです、このファイルで慰められる人のよしあらば、幸甚とする所なり。  梅の匂い漂うお目でたい写真集でありたいと願っています。

 

               

 目白が紅梅をついばんでいました、鳥は動くのでなかなかうまく撮れないのですが、何とかなっているはずです。 以前に撮ろうとしてケツを向けられたの撮った事がありました。(~o~) 同じく梅の匂いに魅せられたのでしょう。 結局、目白もオラも同じ動物と言う事なのでしょう。

               

 

              

 ここの所、雨と曇りの日が続きましたが、この日は好天に恵まれまして暖かくなりました。 梅は見頃の七分咲き匂いほのか、椿咲き、サシュウユ咲き、目白おり、カモは気持ちよさそうに泳いでいたのどかなひと時を過ごしました。 後楽園の白壁に沿い、チンチョウゲの香りもほんのりと漂う道を帰りました。 寸陰惜しむべきかな。 このひと時こそ寶なれ。

 外に出れば「流行」の世、園内にいる限りは「不易」の世にしばし浸りました。 不易流行をまさに生きたと言う一時でした。 もっともデジカメで写真を撮るなんぞは、やはり「流行」か。 然れども、春をそのままに感じ取るのは、やはり「不易」かと、詰まらない事を思ってしまいました。

            

 

 さて小石川後楽園で梅の匂いと姿を満喫しまして充分なのですが、身近にも梅のいいのが結構ありまして、それを掲載しないのは惜しいかなと思い、ここから下は身近で撮影した梅を掲載します。 どうしも周辺の建物や道路や標識が入ってしまいますので、それなりに撮影角度を変えてみますが、どうしも避けられなく写ってしまう場合が起ってしまいます。

             

     

  昔ある時に作った歌をなつかしく思い出したので、掲載してみました。 下の画像の梅を遠くから眺めていたのですが、どうしも近寄りたいと思いましたので、今朝行ってみました。 遠くより眺める梅もいい、いやに気になる、離れても匂いの残るような気がします。 さて如何なる時に出来た歌かは御想像にお任せしましょう。 自分から口にする事はないはずです、そう言う歌です。

       

 

              

 

             

 お陰様で今年も梅を存分に楽しめました。 「お陰様」とは日常当たり前のように口にする言い回しですが、誰かが陰で支えてくれている、その御利益のお陰ですと言う事のはずです。 「様」までつけるとは何かを敬っている言葉のはずです。 その何かとは言うまでもないでしょう。 我らに命を授けて命を保ってくれている力です。 日、月、水とも言える、ですのでお陰様と言うのでしょう。

 まだまだこれから見頃となるのもあるはずです。 親子で餓死するような人も出る世間です。 大津波にあっと言う間に命を持って行かれた人も多かった。 放射能の被害におびえてながら暮らしている人もいる世の中です。 仕事のない人、仕事をしたくてもない人出来ない人、借金苦に命を絶つ人もある世の中です。 人同士が苦しめ合ったり奪ったり殺しあったりする地獄と言ってもいいのが人の世の現状のはずです。

 こうしてのどかに梅の姿に惚れて夢中になるひと時を楽しめるのはありがたく幸甚この上なしと感じ入っています。 寸陰惜しむべきかな。 

 「この財(たから)を忘れて、危く他の財を貪るには、志満つ事なし。」と徒然草に侍り。 どうしも兼好さんに戻ってしまいますが、この寶とは他の事にあらず、このひと時なり、このひと時こそ寶なれ。 そう感じています。 寶に恵まれて囲まれて過ごす、ありがたき目出度きひと時でした。 

               

               

               

  

 四月一日、近所で毎年恒例の「さくらまつり」をやったのですが、桜はほとんど咲くことなく、梅が咲き残り「うめまつり」と言いたくなるような始末でした。 今年はそう言う天候でした。 咲き出したばかしの梅の画像を二枚追加します。 もうこれ以上の追加はなく、それよりも昨年よりも五日くらい遅れての「お花見」の事で気がもめています。 今年は枝垂れ桜を二箇所掛け持ちで撮るつもりです。 雨よ降らないでくれ風も強く吹かないで欲しいと都合のいい事ばかし念願しています。

  

 

          人の業(わざ)及び難きは花なり。

 

                         

                                               

 季節の花 300」と題するサイトは実によく花について調べられていまして、時々参考にしています。 必ずお役に立つサイトのはずです。