先週の土曜日、六月十二日に引き続き、十九日土曜日に再度訪問してしまいました。 丁度雨上がりでして、撮影と
しては持って来いでした。 花菖蒲と紫陽花はやはり梅雨時に咲き誇る花ですので、雨粒まで写るようなお姿を撮りた
いものです。 

 土砂降りの中だと撮影は困難になって、「こんなんだ」と言う写真しか撮れなくなってしまいそうです。 少し駄洒落も出
るようになりましたので、落胆沈痛ばかしが続いておりましたが、少しは元気も出てきたようです。 撮影し出しますと、言
葉にならぬため息や小声も出て夢中になってしまうものです。 
「歌」の発生と同様な動作が起こります。 無言の言葉で
あるため息と「
眺む」の語源であるそうな「長息」する事から始まる。 「眺む」は「詠む」の漢字が古き時には当てらたそう
ですして、「詠む」の方がひと息ついた感じがはっきりとするそうです。


(石上私淑言、巻一)   

 写真でも感動して撮るのですが、どうしても人にも見せたくなってしまうものです、そうでなければ労を惜しまず稚拙を
恥じずにかような写真集を編集したり、駄文駄歌をまで掲載しようとはしないはずです。 「
人に見せではやみがたく人
にいいきかせでやまがたし物也
」となってしまいます。

              
 


 

    
 

 

 


  
 


      

 もう多分見ることあたわず、共に眺める事もない病床の母の為にもと思い、僅かな時間でこの「花しょうぶ」のファイルを
作成編集してしまいました。 己が心と心映えは必ずや以心伝心すると信じましょう。 昨年は共に眺められとのにと残念
ですが、それも仕方がないのでしょう。 この世に生まれし者はいつしか命を終える。

 二宮尊徳翁が言にこれあり、「人と生まれ出でたるうえは、必ず死する物と覚悟する時は、一日活きれば即ち、一日
の儲け、
一年活きれば一年の益なり。」。

 ☆ 原文から抜粋してみましょう。 
 「夫(それ)人、生れ出(いで)たる以上は死する事のあるは必定(ひつじょう)なり、長生といへども、百年を越(コユ)るは稀なり、
限りのしれたる事なり、 夭
(ワカジニ)と云(いう)も寿(ナガイキ)と云(いう)も、 実は毛弗の論なり、譬(タトヘ)ば蝋燭に大中小
あるに同じ、 大蝋といへども、火の付
(つき)たる以上は四時間か五時間なるべし、 然れば人と生れ出(いで)たるうへは、必
(かならズ)死する物と覚悟する時は、一日活(イキ)れば則(すなわち)一日の儲(マフケ)、一年活(イキ)れば一年の益也。」

 解かりやすいはずですが、「毛弗(もうふつ)」は漢字辞書でもなかったのですが、弗は否定に使われるので「毛ほどもない、騒
ぐに足らず、わずかな」と言う意味合いでいいはずです。 また引用先はこちらです、「
二宮翁 夜話(やわ)」、ウェブサイトでは
大変な労作でして引用しました作者に敬服する次第です。

 今朝も見舞いに行きましたが、目覚めて息をしておりましたので、これ儲けなりと思いまして、仕事に精を出すのが今出来る親
の恩に報いる道なりと思い病院を後にして出勤し仕事に精(はげ)みました。

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 この時期に咲き雨に咲く花似合う花と言えば勿論「あじさい、紫陽花」と「くちなし、梔子」と来ますので、序でに掲載してみま
した。 なお、紫陽花は「名花撰」にも掲載してありますので、そちらで沢山御鑑賞出来ます。

    
 

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  季節の花 300」と題するサイトは実によく花について調べられていまして、時々参考にしています。 
必ずお役に立つサイトのはずです。