七月の末頃になりますと咲き出す芙蓉(ふよう)です。 今年は猛暑の連日連夜、35度、38度なんて日も続き、熱中症
で具合が悪くなったり亡くなった人も結構出たくらいでして、もう亜熱帯地方(年平均温度29度くらい)と変らない暑さが続
いているそうです。 そんな中でも時節の来ると咲き出してくれる芙蓉を眺めてひと息入れると木陰で涼んでいる気分とな
ります。 

 今年の芙蓉には格別の思いが通います。 五月中旬に食事のままならず入院をさせた老母が「点滴と酸素」だけで、い
つ逝くのではないかと心配の毎日がもう三ヶ月近くも続いていまして、丁度つつじが終わりかけた頃に入院、まさかこの芙
蓉の咲く頃まで命があるとは思ってもいなかったからです。 毎日命拾いをした感じの日々でした。 

 ある時から思っていたのですが、もう年齢や老化からしてそう長くはないとは知るつつも「出来るだけ長生きしてほしい」と
の願いもあったわけでした。 両者が入り混じった感じです。 とは言いましてもあまり引き止めて苦しませるのも辛く切ない、
長生きもして欲しいとあまりに色々な思いが胸中を往来した三ヶ月でしたが、八月に入り芙蓉の写真を病院のベットの横に
飾れたのも信じがたいところもあります。

              
 

 
   

    

 

  

 酔芙蓉の咲き出す頃まで命が持つかとのかすかな期待もあったのですが、八月二十六日(木)未明病院よりの電話が
あり、近所ですので急ぎ駆けつけるとすでに永眠しておりました。 満月の午前二時でした。 それから四時には自宅に百
日ぶりに戻りました。

 世間の風習に従い二十七日お通夜、二十八日十二時より告別式、二時半頃より火葬(荼毘)となりました。 三十一日(火)、
備忘の為に今書き込んでおきます、記憶の新しいうちに。

 見るのも辛かったのですが、それも習慣となり当たり前となり百日間、仕事の日は朝晩二回、休みの日は一日四回ほど
かかさずに通い、足のつぼを揉み、曲がって膨れてしまった手を揉んで上げましたが、それしか出来ないそれだけが自分
に許された唯一の事と精進致しました。 一日たりとも休まず遅れを取らずが出来た事が今となっては救いとなる。

 葬儀も終わり落ち着きだしますと、そろそろ酔芙蓉の咲き出す頃だろう思い出し、毎年咲く所を訪ねますと、案の定咲き出
していました。 今年の初撮りであり、何とか写真を撮って飾って見せてあげたいと言う願いは叶いませんでしたが、九月二
日に撮影してこの画像を亡き母に捧げむとす。 昨年の今頃は何とか眺めらた、今年は悲しいかな共に見る事あたわざる。


(石上私淑言、巻一)  

                        
 


         午前九時頃                    午前十一時頃
 

          午後一時頃                        午後四時頃
 

 

      

 

 酔芙蓉と呼ばれるこの花は朝は白、すこしづつ色づき、夕方には真っ赤となる、それで命は終わります。 まるで
少しづづ酔い、ほんのり気分となり、更に酔い真っ赤となる。 どなたが名付けたか知らねど、言い得て妙なリ。 
 
 下に翌朝撮影した画像を掲載しましたが、また新しい命が白く咲き出し、昨日の花は赤くしぼんで残っています。
一生を一日で演じつくす花、酔芙蓉です。

      

             

 八十八回目の誕生日に二週間ほど手が届かなかった命でしたが、九月九日の誕生日の朝にすがすがしい気持ちで
撮影した写真二枚を上に掲載して誕生日のお祝いとしましょう。 

 生きているうちは何故か忌み嫌い、した事もなかった誕生日祝いでしたが、亡くなった後に初めてする事となりました。
この画像の骨となった故人に以心伝心する事を念願します、わが真心なり。 平成二十二年九月九日 Sep. 9th, 2010

 大御恩ゆめ忘れまじ、わが親不孝を許し給え。

 

 

       
             
               

 

   


                               

                                          

  季節の花 300」と題するサイトは実によく花について調べられていまして、時々参考にしています。 
必ずお役に立つサイトのはずです。