今年もほぼ同じ時節に上野東照宮の「ぼたん苑」を訪なう事が出来ました。 これで三度目、二年目となりました。今年は四月が寒かった
のでもう少しずらして行こうかとも思ったのですが、四月二十四日の土曜日に訪れるようになりました。 さて色々と煩悶絶える事なく、少し
気持ちも曇っていたのですが、行ってすがすがしい気持ちとなれて小躍りしたくらいになれました。
花は裏切らない、その慰め無量なり。 沈みがちな自分を悦んで迎えてくれました。 思い立ったが吉日哉。
「ぼたん苑」への道すがらにいい色合いの桜が目に入り撮影しましたが、昇り坂の途中から撮った真ん中のが気に入っています。 思わぬ
光景に出会えました。 料理で言ったら前采、つきだしと言うところでしょうか。
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ここからぼたんの画像が始まりますが、三度目の訪問の今年は画像が八十枚に及ぶものとなってしまいました。 まだ掲載したい画像もあるので
すがここらでまとめました。 このぼたんの写真集を編集していまして、後ろ髪を引かれるような気持ちで感動して夢中になって画像処理をどんどんし
てしまいましたが、その都度にため息がでてしまいました。 それなりの体力のいる仕事ですが、疲れ知らずとなってしまいました。
時は過ぎて戻らず、明日の日さえたしかならず、いわんや来年なぞとは口にすべきにあらずや。
「不易流行」と言う言葉があります。 この現世(よ)を生きるには「流行を生きる」と言える、流行を生きると言いましても別段今の流行の格好を追うと
言う事ではありません。 例えば百年前千年前に暮らしていれば当時の生活様式に従うのは当たり前でして、現在に生きるので現在の生活様式に従う
だけの事です。 不易とは易(かわ)らずと言う事で、変らずとは万古不易の道の事、すなわちお天道様が照らし、水の恩恵を受け、息をして命の保たれ
ると言う事だと思っています。 花はまさに万古不易そのものですが、人間となると過去よりも優れているような錯覚がどうしても起こってしまい当たり前
となる。 それに気が付く人が実に少ないはずです。 ぼたんも人の命も根源は同じなり。
お天道様を拝むなんぞは大昔の事のようになってしまいましたが、果たしてそんな事はないはずです。 ここに掲載されている目を見張る美事(みごと)
なぼたん様がいかがでしょうか。 まさに不易、万古不易の道に従い、そうして見事に開花する。 さて人はと言いますと現在におきましては天地(あめつ
ち)の恩恵を忘れても生活は出来るのですが、今でもいざ雨が降らないのが続くと困った事になるのは当たり前でして、その恩恵なんぞは忘れ果てたよう
な現在でもはっきりと思い知らされる。 花なんぞなくてもいいはずですが、どうしてこんなに美事(みごと)なものが咲き出し、それを人の目が感じ取れ気
分もよくなるのかをしみじみと感じ取り味わうと言う道、すなわち修練の道は熟成の長き時が必要であり面倒くさいから現代は捨て去ってしまったような気
がしてならない。
今だって、御来光を拝んで万歳をする姿をよく映し出していますが、あの気持ちこそ大事の大事、おのずと万歳でもしたくなるはずです。 手が上がるの
は言葉以前の言葉を体で表現しているではありませんか。 体で表現してやがてその感動を人に何とかして伝えたくなる。 「人にいひきあせではやみが
たき物」となる。
大事の大事を捨て去った様子ですから、いよいよ混迷するしかないのですが、見事なぼたんを観ますと命の不思議を思わざるを得ない。 いつでもどこ
でも人は万古不易の道に戻れる、戻るとすがすがしい気持ちになれまして、これこそ御利益と言うべきのはずですが・・・・。 命の有難さを感得出来る、命
あらばこそのはずです。 くだくだしくなって要領は得ないはずですが、もともと言葉なんぞでは表現出来ない事だと確信しています。
ここまで休みの日に出てきて一気に画像処理と編集をしてしまいました。 何がこうも夢中にさせ疲れ知らずで自分を駆るのか。 やはりぼたんの力、
ぼたんの魅力のはずです。 目にして自分の心身を吸い込むように魅せてしまうぼたん花。 どろどろとした人の世よりぽっかりと浮かび上がり、すがす
がしい自分もあるのを目の当たりにしたような気分です。
ぼたんはもともと観賞用としてではなく、「薬草」として中国から渡って来たと言う新聞記事を読んだ事がありました。 ですので寺なんかに多く咲いている
そうですが、やはり薬草なりとふと思いましたのは自分が元気になれ夢中になれたのはぼたんの効用効能と言うべきなのでしょう。 この花には所謂副作
用がない、すがすがしく気分すっきりとさせ労を惜しませないのが副作用と言えばよろこぶべき副作用なのでしょう。
「この楽しびを忘れて、いたづがはしく外の楽しびを求め、この財(たから)を忘れて、危ふく他の財を貪るには、志、満つ事なし」と徒然草侍り。
「世間諸事は俗中の俗、この楽しびは俗中の真なり」、これはわが言なれど「俗中之俗、俗中之真」は契沖(江戸時代の国学者)のお言葉です。
ここに掲載されています画像はどれでも御利用できるのなら、御利用されて結構です、勿論リンクもご自由に。
「共有されてこその華」と信じます。
帰りがけに上野の森の若葉青葉がすがすがしい、すがすがしい気持ちで都心の喧騒も人込みも気にならずにすたすたと帰路につけました。
ぼたん様の御利益でしょうか、名残惜しく振り返りながら、心も晴れてすっきりとした気分、これを御利益と言わずして何を御利益と言うべきや。
「季節の花 300」と題するサイトは実によく花について調べられていまして、時々参考にしています。
必ずお役に立つサイトのはずです。